平成29年6月12日(月)  目次へ  前回に戻る

ほとんどのヒヨコは重力の法則に従って落ちていくばかりだが、ときおり上がってくるやつもいるようである。あがいてもしようがないのではないだろうか。

わーい、月曜日でした。俗世を棄てて山中に入った―――というのはやっぱり夢で、朝起きたら俗世にいたので会社に行かざるを得なかった。しかし明日からはもう行かないようにしたいところである。

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戦国のころ、

斉人隆技撃。

斉人、技撃に隆(さかん)なり。

斉の国のひとは、刀で斬撃を加える術を盛んに行っていた。

とすれば、斉の国は戦争に強かったのではないかと思われるが、ぜんぜんそうではなかった。

なぜならば、

其技也、得一首者、賜贖錙金、無本賞矣。

その技や、一首を得る者は、贖錙金(しょくしきん)賜るのみにして本賞無し。

「贖錙金」というのは、首を取れなかったほかの兵士から自らの失敗を贖う弁償金を出させ、それを功績のあった者で分け合うという制度である。

その技術で戦って、敵の首を一つとったひとは、他のやつの弁償金を分割してもらえるだけで、(国家から)ちゃんとした給与が出る、ということが無かったからである。

こんなことでは

事小敵毳、則偸可用也。事大敵堅、則渙焉離耳、若飛鳥然。

事小にして敵毳(せい)ならば、偸(かりそ)めに用うるも可なり。事大にいて敵堅ければ、渙焉(かんえん)として離るるのみにして飛鳥のごとく然り。

事態が小規模で、敵が(むくげのように)弱ければ、臨時に使えるかも知れないが、事態が大規模で、敵が強力なときには、水が弾け、鳥が飛び去るように逃げ出すに決まっている。

傾側反覆無日、是亡国之兵也。

傾側し反覆すること日無く、これ亡国の兵なり。

いつだって、横倒しになって逃げ出すのは当たり前、ひっくりかえってこちらに向かって攻撃してくるかも知れず、まさに亡国の軍というべきものであった。

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と、「荀子」第十五「議兵篇」に書いてありました。

ちゃんと給料くれて、誉めてくれないと、逃げ出すのである。おいらなんかすぐ逃げて、戻ってくるはず無いと思いますよ。

 

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