平成29年5月9日(火)  目次へ  前回に戻る
「カエル忍者、ガマ忍者、ブタ忍者、モグ忍者などを集めて見張りをさせて、うまくいくんでしょうか」「なに、あいつらはおとりだ。うまく行く必要はないのだ」「なんと、わははは」「わははは」ひとびとの嘲笑い声が聞こえる・・・。

ガマ忍者ではないんですが、あちこちブツブツが出来てかゆいんでお医者さん行ったら、湿疹の薬たくさん処方してくれた。こんだけもらっとけば数か月はもちそうです。うっしっし、うまくいったぜ。

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うまくいった・・・と思ったけど、というお話です。

春秋の時代、斉の賢者・晏嬰さまが楚の国に使いした。

以晏子短、楚人為小門于大門之側、而延晏子。

晏子の短なるを以て、楚人、大門の側に小門を為(つく)り、晏子を延(ひ)く。

晏嬰が小柄であることから、楚の国のひとびとは城門のかたわらに小さな門を作り、晏嬰をそこから案内しようとした。

「うっしっし、晏嬰に小門を通らせれば、うまく屈辱を与えることができるぞ」

当時、斉と楚は覇を競っていたので、楚のひとびとは、晏嬰と彼が代表する斉国を辱しめようとしたのである。そうすれば斉と楚のどちらにつこうかと迷っている小国に、楚の方が威勢がよさそうだから楚に従った方が有利だ、と思わせることができるであろう。

晏嬰は門の前まで連れてこられて、大門と小門があるのに気付くと、にやにやしながら言った。

使狗国者従狗門入。今臣使楚、不当従此門入。

狗国に使いせし者は狗門より入る。今、臣は楚に使いするなれば、この門より入るべからざるなり。

「ああ、これはいけませんな。イヌの国に使いしたものはイヌの門から城内に入るもの。今、やつがれは楚という立派な国に使いしにきたはずでございます。(楚の表玄関がこんなちっぽけな門だとは知りませんでしたが、)こんな門から入っては、楚の国を辱しめることになる。この門から入らせていただくわけにはいかない気がしますなあ」

「むむむ・・・」

そこで、案内人は大門から案内したのであった。

晏嬰は楚王にお目通りした。

楚王は言った。

斉無人耶。

斉には人無きか。

「どうも斉のお国には人が足らないように見受けられますなあ」

晏嬰はこたえて言った。

臨淄三百閭、張袂成陰、揮汗成雨、比肩継踵而在。何為無人。

臨淄三百閭(りょ)、袂(たもと)を張れば陰を成し、汗を揮えば雨を成し、肩を比(なら)べ踵を継ぎて在り。何すれぞ人無からん。

「閭」(りょ)というのは、むかしの都城は、城内がまた門に囲まれた多数の区域に分けられていた。その一つ一つを平安京などでは「坊」といいますが、閭というのはこの「坊」に当たる単位で、当時は三十五家から成っていたそうです。

「我が斉の都・臨淄(りんし)城には、三百の町内会がございます。そこに住むひとたちは、たもとを張り合えばそこに日蔭ができるほど密集し、かいた汗をふるいますと雨になるぐらい人口が多い。肩が触れ合い、かかとの後ろにはもう別の人につま先が引っ付くぐらいなんです。どうして人が足らない、などということがございましょうか」

「いやいや」

楚王は言った。

然則子何為使乎。

しからばすなわち、子、何のために使いせるか。

「それなら、どうして先生が、この使いをしておられるのか、と思いましてなあ(もう少し風采の上がるお方を使いにすべきでしょう)」

うっしっしー。これはすばらしい。晏嬰をバカにして、しかもうまく斉の国を辱しめることができましたよ。

晏嬰は答えた。

「我が斉国にはたくさん賢者がおります。ところで、

斉命使、各有所主。其賢者使使賢王、不肖者使使不肖王。嬰最不肖。

斉、使いを命ずるに、おのおの主とするところ有り。その賢なる者は賢なる王に使いせしめ、不肖なる者は不肖なる王に使いせしむ。嬰、最も不肖なり。

斉では、他国への使いを任命するときには、それぞれに担当というものがあるのでございます。使者の中でも賢者は、受け答えをきちんとしなければいけない賢い王のところに使いさせる。あまり賢く者は、そうする必要もないのであまり賢くない王のところに使いにやるのです。わたくし晏嬰は、実はその中では最も賢くない者なのでございますが・・・」

そう申し上げて、にやにやして王の顔を見上げたのでございました。

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「晏子春秋」巻三下より。

晏嬰さんは失礼なひとだなあ、と思ってしまいますね。ところで、今度の大統領は礼儀ぐらい守るんかな。

 

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