平成29年1月26日(木)  目次へ  前回に戻る

ネギや白菜の入ったお風呂に入れてもらう。ぐつぐつと沸いてきて、いい湯でアンコウ

敗者には敗者の美学があるのである。せっかくこんな詩を読んだので、ご紹介しておきます。

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報主寸心知者知、 主に報ずるの寸心、知る者は知らん、

任他桀狗吠堯嗤。 他(かれ)に任す、桀の狗の堯に吠ゆるを嗤うを。

「桀の狗の堯に吠ゆ」とは、古代・夏国の最後の王で暴虐な君主であった桀王のような人であっても、その飼い犬は主人には吠えず、その家に訪ねてくる者があれば、たとえそれが堯帝のような聖人であっても吠えかけるものだ、ということです。「夏の桀王」ではなく、孔子の同時代とされる極悪人の「盗跖」のイヌの話にしていることの方が多いですが、どちらにしろどうせ伝説上の人物なので関係ありません。

漢の初め、韓信に謀反を奨めた策士・蒯通が、韓信が討たれた後に捕らえられて罪を問われたときに、

跖之狗吠堯。堯非不仁、狗固吠非其主。

跖の狗は堯に吠ゆ。堯の不仁なるにあらず、狗、もとよりその主にあらざれば吠ゆるなり。

盗跖の飼い犬は堯に向かっても吠えるものでございます。堯が立派でないからではありません。イヌというのはもともと、その主人以外の者には吠えるようにできているのです。

と答えて釈放された、というお話が、「史記」(淮陰侯列伝)にございます。

御主人さまに報いようとした心を、知る者は知ってくれるだろう。

誰かが、桀のイヌが堯に向かって吠えるのを「あのイヌはバカだなあ」と嘲笑っているとしても、それはそのひとの勝手である。

御主人さまのために勝てるはずの無い戦いに出向いたおとこたちがいたのだ。

それから数十年が経ちました。

恩讐一夢醒無跡、 恩讐も一夢、醒めて跡無く、

只有桜花護断碑。 ただ、櫻花の断碑を護る有るのみ。

 恩義を返すとか、仇に報いるとか、そんなことももはや夢のごとくに過ぎ去り、今は目覚めた後のように、誰も何も覚えていない。

 ただ、この地には、桜の花の中に護られるように、かつて無益な戦いに斃れたおとこたちのことを記念する壊れた碑が立っているだけだ。

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この詩の題名は「彰義隊」、明治も後年になって、上野の山の桜の中に半ば埋もれていた上野戦争の戦没者追悼碑を見て作ったもの。作者は南摩羽峯。名は綱紀、文政六年(1823)生まれの会津藩士で、藩校日新館、幕府昌平黌で儒学、蘭学、洋学を学び、幕末には蝦夷地衛戌に従事、戊辰の際には京都藩邸詰め、鳥羽伏見の戦いの後、大阪から越後・米沢・庄内をめぐって列藩同盟に奔走、捕らわれて越後高田に禁錮、という数奇な前半生を送ったが、明治に入って釈放され、淀藩藩校に聘せられた後、太政官出仕、文部省を経て明治16年、東京帝大漢文学教授、明治21年高等師範学校教授、女子師範学校教授を務め、明治36年退職、42年(1909)卒。宮中御講書始めでも進講したそうです。

羽峯の一族も多数戦死、自死しております。会津のひとは明治時代にどんな思いで生きていたのであろうか。

・・・ちなみに今日は昔の職場の仲間との飲み会があったが、それは楽しうございました。

「あやうくアンコウ鍋にされて敗者になるところだったが、「ちょうどいい湯かげんだ」と騙して代わりにぶたを入れてやったでアンコ」カニも呼ばれて来ており、ぶた風呂の次はカニ風呂であろう。アンコウに対抗できるほどの知恵があるのはサルぐらい、というお寒い状況である。

 

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