平成29年1月21日(土)  目次へ  前回に戻る

実力伯仲のぶたずもうの両力士だが、ぶたいぬ力士の方が強い立場にあるようである。大相撲は本日、稀勢の里関が初優勝。おめでとうございます。

春場所も明日で千秋楽。明日ぐらいから暖かくなって、春が来るといいなあ。

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蘇州の磚橋の西に「落水鬼」がいたそうな。

落水鬼が

呼人姓名、応之者必溺死。

人の姓名を呼ぶに、これに応じる者は必ず溺死す。

ひとの姓名を呼んだときに、これに「おう」と答えた者は必ず溺死する。

と信じられておりました。

そして、

夜深人静、便起行橋上、如著木屧声、看則滅去。

夜深く人静かなるに、すなわち起ちて橋上に行けば、木屧(もくしょう)を著せるが如きの声あるも、看るにすなわち滅去す。

深夜になってひとびとが静まったころ、そっと出かけてこの橋の上に行ってみると、木の下駄を履いたような足音が聞こえることがある。しかし、その音の方をよくよく見ても、誰もいないのである。

萬暦の丙午の年(1606)の冬のことだったが、蘇州府学の広文(教授職)にあった宣城の梅守履という、もとは物静かな学者風のひとであったが、その人が

忽病狂、性理錯惑、如有憑焉。

忽ち狂を病みて性理錯惑し、憑く有るがごとし。

急におかしくなって、言うことも為すことも混乱し出したのであった。なにものかが憑りついたかのようであった。

ある日の夕方、この人が、

「はいはい、ただ今出迎えにまいりますよ。うっしっしー」

とうれしそうに

盛衣冠而出、向東疾馳。

衣冠を盛んにして出でて、東に向かいて疾馳す。

教授職の正装をして家から出て来て、東の方に向かってすごい速さで駆けだした。

「先生がどこかに行きまちゅよー」

近所のコドモが見つけて、あとをつけたが、

「うっしっしっしー」

梅守履はものすごい速さで走って行ったので、すぐ見失ってしまったという。

さて、梅広文は疾風のような速さで磚橋のたもとまで来るとそこで立ち止まり、橋のあたりにいた人びとに向かって呼ばわって言うに、

暫回避、前有官人儀従来。

暫く回避せよ、前に官人の儀従して来たる有り。

「こらこら、そこをどかんか。向こうからえらいお役人が、行列を引き連れてお見えになっているのが、見えないのか!」

と。

衆視寂然。

衆視るも寂然たり。

人々、言われた方を見てみるが、何も来ない。

転盼之間、瞥焉不見、広文直走橋西、赴河死矣。

転盼(てんはん)の間、瞥焉として見ざるに、広文は橋西に直走して河に赴きて死せり。

ひとびとがそちらに気を取られて、しばらく目をそらしているうちに、教授は橋の西のたもとに走りつくと、そのまま「うっしっしー」と川に飛び込んで、死んでしまったのであった。

冬場のことであり、飛び込んでただちに即死したものとみられたが、引き揚げられたとき、その死に顔はなにやら幸せそうに微笑んでいた、ということである。

ところで、先生の家とこの橋の間は三里(1.5キロメートル)ほどあった。その間は、

巷陌曲折、先不認識、而竟走溺於此、豈非鬼為崇乎。

巷陌曲折し、先には認識せず、而してついに走りてここに溺る、あに鬼の祟を為すにあらざらんや。

路地が曲がりくねってつながっており、梅先生はこれまでこの道筋を知らなかったはずである。それなのにここまで走ってきて、ついに溺死したのだ。「落水鬼」のしわざではないということはできないだろう。

このとき府学で生員(学生)として学んでいた蔡不順の語ったところである(から信憑性は高いであろう)。

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明・銭希言「獪園」第十三より。みなさんも、春が近づくとどこかから呼ぶ声がすることがありますよね? ね? ね? おいらにもときどき聞こえてきている・・・ような気がします。めんどくさいので返事してないけど。今年は返事してみようかな。

 

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