平成28年12月12日(月)  目次へ  前回に戻る

この絵そのものは、モミの木が飾られたがまだ時期が早いのでサルが飾り付けられているという構図です。ニンゲン世界はオロカだからもうクリスマスにしとるみたいだが、普通のドウブツならまだ早いとわかるはず、という批判的な絵画である。一方、ブタとイヌ、こいつらは穀物を食う仲間なのか(下記参照)。それでぶくぶくと・・・。

寒いです。冬なのだなあ。

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しかし、こんな寒い中でも、麦は育っているのです。

今夫麰麦、播種而耰之、其地同、樹之時又同、浡然而生、至於日至之時、皆熟矣。

今、夫(か)の麰麦(ぼうばく)や、種を播きてこれを耰(ゆう)するに、その地同じく、これを樹うるの時また同じければ、浡然として生じ、日至の時に至りてみな熟せり。

「麰」(ぼう)は「オオムギ」、「耰」は朱子注して曰く「種を覆うなり」と。「日至の時」とはその成熟すべき時季をいう。

さて、あのオオムギ・コムギについて考えてみてくださいよ。種を播いて、その上に土をかけてやる。そうすると、同じ場所に同じ時に植えたものは、どんどん成長して、しかるべき時にはみな種を結ぶではないか。

雖有不同、則地有肥磽、雨露之養、人事之不斉也。

同じからざる有りといえども、すなわち地の肥・磽(こう)、雨露の養、人事の不斉有るなり。

「同じように育たない」とおっしゃる人もいるかも知れないが、それは植えた地が肥えているか瘠せているか、雨露の養いがあったかどうか、人の手を平等にかけなかった、ということがあったからである。

というわけで、

凡同類者挙相似也。

凡そ同類なる者は挙げて相似なり。

同じ種類のやつはみんなよく似ているものなのである。

そりゃそうだ。

なのに、

何独至於人而疑之。聖人与我同類者。

何ぞひとり人に至りてこれを疑うや。聖人我と同類なる者なり。

どうしてニンゲンについてだけはそうではない、などと考えるのか。聖人とわれわれも同じ種類なのだ。

ほかにも次のようなことが挙げられる。

○ニンゲンの足を知らなくても、わらぐつを作ることができる。もちろん足の大きさはいろいろあるが、出来上がったわらぐつはみな同じ形をしているであろう。ニンゲンはみな同じ種類なのである。

○ニンゲンの味の嗜好というのはだいたい同じである。みな昔の食の名人・易牙(えきが)のレシピは美味いと思うのだから、天下の口は相似ているのだ。一方、イヌやウマの嗜好は我々と違う。ニンゲンが同類である一方、イヌや馬が我々と同じ種類でない、ということがわかるであろう。

○音楽やニンゲンの美醜についても、みな同じように感じるのであるから、ニンゲンは同類である。

以上から、

口之於味也、有同嗜焉。耳之於声也、有同聴焉。目之於色也、有同美焉。至於心独無所同然乎。

口の味わいにおけるや、同じき嗜あり。耳の声におけるや、同じき聴あり。目の色におけるや同じき美あり。心に至りて独り同然のところ無きか。

味については、口にはみな同じ嗜好があるのである。音についても、耳にはみな同じ聴こえ方があるのである。美醜についても、目には同じ見え方があるのである。それなのに、どうして心だけは同じではない、というのか。

もちろん心も同じなのである。

心之所同然者何也。謂理也、義也。聖人先得我心之所同然耳。

心の同然なるところは何ぞや。謂わゆる理なり、義なり。聖人はまず我が心の同然なるところを得しのみ。

人の心の(嗜好や聞こえ方や見え方に当たる)同じところ、というのは何だろうか。もちろん、いわゆる「道理」であり「正義」がそれに該当する。聖人といわれるひとたちは、一般人よりも先に、心の同じところ(すなわち理と義)に気づいたひと、というだけである。(それ以外は我々一般人と同じなのだ。)

これらを演繹すると、次のように言うことができよう。

理義之悦我心、猶芻豢之悦我口。

理義の我が心を悦ばすは、なお芻豢(すうけん)の我が口を悦ばすがごとし。

朱子曰く、

草食「芻」という、牛羊これなり。穀食「豢」という、犬豕これなり。

草を食うやつが「芻」で、ウシとヒツジがこれに該当する。穀物を食うやつが「豢」で、イヌとブタがこれに該当する。

ということですので、

道理や正義が心に快楽を与えるのは、牛羊や犬豚が口に快楽を与えるのと、同じようなことなのである。

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「孟子」告子上第七章。「聖人」と我々が同じニンゲンであることを証明し、聖人も我々もみな「理義」を快楽と感じるのだ、と宣言した、孟子の中でも有名な章の一つである。

如何でしょうか。みなさん、この孟子のアクロバティックな論理に従えますか。もちろん反発を感じますよね。おいらも若いころは反発したんです。しかし、最近はちっとも反発しません。うんうん、と聴いておいて、最後に「でもおれはイヌは食わないよ(おまえらのいう正義をすべて肯定することはないよ)」とにやにやしながら言う、だけですね。

さて、この章を読んでの吉田松陰先生の感想を聞いてみます。

・・・往時大嶋郡に巨人あり、声名大いに噪(たか)く、また、林百非翁は極めて短人なりし。然れども、試みに二人を比較して見るべし、巨人とても百非翁の長に倍するには至るまじ。是を以て類を同じふする者の大異なきを悟るべし。

・・・以前、周防国の大島郡にでかい人がいて、ずいぶん騒がれたものだ。一方、わたしが兵学を学んだ林百非先生はたいへんチビであった。けれども、試しにこの二人を並べて比較してみても、でかい人も決して百非先生の背丈の二倍というほどは無かったであろう。これにかんがみるに、同じ種類の者どうしは大した違いがないことがわかる。

外見だけでなく、才能面についても、

豊臣太閤の雄才大略、古今一人と称す。然れどもまた譬へば巨人の如きに過ぎず。今、吾輩卑瑣(ひさ)と云へども、また譬へば百非翁の短の如きのみ。然れば太閤の半ばには及ぶべし。

太閤豊臣秀吉は英雄の才能と大きな戦略を持っていて、我が国の歴史上最高だといわれる。しかし、それでも上述のでかい人程度しかないであろう。ゲンダイの我々、身分は低いちっぽけな存在とはいえ、百非先生のチビであったぐらいのもので、太閤の半分ぐらいにはなると思うぞ。

ほんとかな。

先生は、ここで突然気が大きくなった。(「太閤」とか歴史上の人物が出てくると、ギアが入るみたいなのである)

太閤天子の関白となり、天下の牧伯を率ひ、僅かに能く朝鮮を擾(みだ)り、朱明を震ふのみ。かつその身一たび没し功即ち廃す。余をして志を得せしめば、朝鮮支那は勿論、満州蝦夷及び豪斯多剌理を定め、其の余は後人に留めて功名の地となさしめんのみ、如何如何。

太閤さまは天皇陛下の関白となって、我が国の大名どもを率いて、それでやっと朝鮮を無茶苦茶にし、朱氏の明国をびびらしただけである。それに、太閤が死んでしまったらみんな引き上げてきて、その功績は何も残らなかった。わたしがもしも(太閤のように)思い通りにやれたら、朝鮮やチャイナは論をまたず、満州やシベリア、さらにはオーストラリアまでは征服してしまうね。それ以外の土地は後のひとたちのために、彼らが功績を立てるための地として遺しておいてやろう。どうだ、どうだ。

これを聞いて、同席した従弟の玉木彦助(後、俗論党との内戦に敗れて自死)は苦笑するばかりであった、ということである。(「講孟余話」巻三下

 

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