平成28年12月7日(水)  目次へ  前回に戻る

ドウブツ温泉ではニンゲンよりドウブツが優先され、ニンゲンは入れない。なお、右端の青いのはニンゲンの恰好をしているが「ハニワ」であるのでニンゲンではない。

やっと水曜日が終了。あと二日だが、二日ともキツい仕事が・・・。

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春秋・秦の穆公の十五年(前645)のことでございます。

晋の恵公が兵を興して秦に攻め入ったので、穆公も親征して河南・韓城の地でこれを迎え撃った。

戦いたけなわにして晋軍は乱れ、恵公は本隊と離れて後退する途中、ぬかるみに馬がはまり込んで動けなくなり、穆公は自らこれを捕らえんとして数騎で突進した―――が、深追いしすぎてかえって晋軍に囲まれてしまった。

晋軍の矢が降り注ぎ、穆侯は負傷した。

「もはやこれまでか・・・」

於是岐下食善馬者三百人、馳冒晋軍囲、遂脱穆公而返、生得晋君。

ここにおいて、岐下に善馬を食らう者三百人、馳せて晋軍の囲を冒し、遂に穆公を脱して返し、晋君を生得せり。

ちょうどそのとき、(例の)岐山の麓でいい馬を食べてしまったやつら三百人が、突撃して晋軍の包囲を破り、最終的に穆侯を救出して帰還するとともに、晋公を生け捕りにしたのであった。

この「岐山の麓でいい馬を食べてしまったやつら」というのはどういうやつらであろうか。

初穆公亡善馬。

初め、穆公、善馬を亡う。

以前、穆侯の飼っていた、貴重ないい馬の一群が行方不明になってしまったことがあった。

この馬群は岐山の麓に迷い込んでいたのだが、

岐下野人、共得而食之者、三百余人。

岐下の野人、共に得てこれを食らう者、三百余人なり。

岐山の麓に棲む田舎者どもが、いっしょになってこの馬たちを捕まえ、あろうことか食ってしまったのであった。その田舎者どもの数は三百余人であった。

馬の貴重さも弁えず、「がははは、美味そうだ」と食ってしまったのである。

追捕の官吏たちは

逐得、欲法之。

逐い得て、これを法せんとす。

この田舎者どもを突き止めて、捕らえて刑罰に処そうとした。

もちろん死刑である。

このとき、穆公はおっしゃった。

君子不以畜害人。吾聞食善馬肉、不飲酒傷人。

君子、畜を以て人を害せず。吾聞く、善馬の肉を食らいて酒を飲まざれば人を傷つく、と。

「(ドウブツよりニンゲンの方が優先されるべきである。)文明人は、いかに貴重なものであっても、ドウブツを殺したことを理由にニンゲンを殺してはいかん。また、わしが聞いているところでは、いい馬の肉を食って、一緒に酒を飲まないでいると、食べたひとの健康に害がある、というではないか」

乃皆賜酒而赦之。

すなわち皆、酒を賜いてこれを赦せり。

そう言って、全員に酒を飲ませてやった上、無罪釈放にしたのであった。

この三百人が、晋との戦いになったと聞いて従軍を志願し、穆公が危機に陥ったと知るや、ほかの戦士たちよりも早く進み、「さきに死ぬのはおれだぜ」とばかりに先頭を争って、晋の兵士らを打ち破り、馬を食って酒まで飲ませてくれた恩義に報いたのであった。

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「史記」秦本紀・穆公十五年条より。

将士の心を得ることの重要さを伝えるエピソードでございます。馬食って酒飲ませてくれたらキツいしごとも先を争ってするカモ・・・いや、それでもしないような気がしますが、馬も食わせずにハタらかせるのは絶対にムリである。

 

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