平成28年8月6日(金)  目次へ  前回に戻る

コドモ禅師さま。信者には優しくありがたいが、弟子にはお厳しいとか。

おいらがコドモ賢者とかコドモ禅師とか登場させるので、みんなおいらのこと、おいらの聞こえないところでは

「あいつ、いくつになってもオトナになれないのな」

「いつまで「コドモ賢者でちゅう」とか言っているのかしら。キモチ悪いだけでなく犯罪をおかす可能性もあるわね」

「オトナの渋さや懐の深さとかまったく無い。生きていて空しくならないのか」

と陰口を言っている、と思うのです。

いや、絶対言っているだろう。

ははは。きみたちもなかなか人を見る目がないなあ。わたしはオトナだからね、今日はきみたちにオトナの文学を紹介してあげよう。

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清の時代、杭州仁和の生員(地方学校の生徒)であった張暁窗は、北宋の詩学を学び儒学にも詳しく、また信頼のできる人であった。

与親朋偶有所約、輒必践言、雖間関数十里、恨寒冒暑、奔走労苦、恒不怨。知人紿之、亦不恨。

親朋とたまたま約するところ有れば、すなわち必ず言を践み、間関数十里といえども、寒を恨み暑を冒して奔走労苦するも恒に怨みず。知人これを紿(あざむ)くもまた恨まず。

親友となにか約束したことがあれば、絶対にそのコトバを実行する。数十里(10キロぐらい)の距離があったとしても、寒いときには寒さに、暑いときには暑さに耐えながら、奔走し苦労して(約束を果たしても)、いつもなんの恩着せがましいところもない。さらには、誰かが彼をだましてそうさせたとしても、それがわかっても恨みに思うこともなかった。

という立派な大人であったのである。

ところがこの張暁窗には、ひとつ、たいへんこだわっているモノがあった。

性喜婦人足、翹翹繊趾、一見魂銷。

性として婦人の足を喜び、翹翹(ぎょうぎょう)たる繊趾、一見すれば魂銷す。

どういうわけか、女性の足が大好きで、軽々とした小さな足跡(もちろん纏足なのである)を見ると、たましいが消えるかのようにうっとりするのだった。

いっひっひ。だいぶんオトナの文学になってきやした。

毎宿妓、但以足撫之嗅之、以舌舐之、終夜不倦。蓋温柔郷在是耳。

つねに妓に宿するごとに、ただ足を以てこれを撫しこれを嗅ぎ、舌を以てこれを舐め、終夜倦まず。けだし温柔郷はここに在るのみとす。

妓女のところに泊まって遊ぶときには、ただ足だけを撫でまわし、その臭いを嗅ぎ、そして舌で足を舐めまわす。一晩中そうして、「温柔郷」(官能の国)はそこにしかないのだ、と考えているのであった。

へっへっへ。すげえオトナだぜ。

もちろん纏足の足はほかのおとこのオトナも好きなのですが、彼は

或十丈蓮船、汙泥垢臭、亦覚芳味逾於蘭麝。

あるいは十丈蓮船の泥に汙(よご)れ垢臭するも、また芳味の蘭麝に逾(まさ)るを覚ゆ。

「十丈蓮船」(20m近い蓮の船➡労働者階級の女の、纏足していないでかい足のこと)の、泥まみれで垢の臭いのするのであっても、そのかんばしい香は、蘭麝(らんじゃ)のお香にもまさると感じるのであった。

かつて、みちばたで破れた女ものの草履を拾ったことがあった。大いに喜んで、

日懐之袖、夜捧以眠。冥思幽想半年余。

日にこれを袖に懐し、夜は捧げて以て眠る。冥思幽想すること半年の余なり。

昼間は袖に入れて身から離さず、夜は枕もとに置いて眠った。この草履についていろいろ想像しにやにやしたり興奮したりで、半年ほどを経た。

同学選事窺隙竊之。

同学事を選び隙を窺いてこれを竊めり。

同窓生たちは、「取り上げてしまった方がよいのではないか」と話し合って、何かのときにスキを見てそれを盗んでしまった。

「ア、アレが無い!」

張はこれに気づくと大いに落胆した。

汪汪下涙、為之神傷。

汪汪として涙を下し、これが為に神傷めり。

毎日なみなみと涙を流し、そのために精神まで弱ってきてしまった。

それを見た同窓生、このままでは死んでしまうと心配して、その破れた草履をそっと彼に返してやった。

すると、張は失くした宝玉をまた得たときのように大いに喜んだが、

「他人もこれを狙っているのではないか」

と疑心暗鬼になり、

再拝焚之於火、以其燼調酒而飲。地遺余灰、犬伏而舐、尚慮未尽更刮土以食之。

再拝してこれを火に焚き、その燼を以て酒を調えて飲む。地に余灰を遺すとて、犬伏して舐め、なおいまだ尽きざるを慮りてさらに土を刮りて以てこれを食らえり。

草履を二回拝むと、火に入れて焼いてしまった。その焼け残りの灰を酒に入れて飲んだが、地面にはまだ灰が残っているような気がして、火を焚いたところを四つん這いになって舐めまわし、それでもまだ草履の精が染み込んでいるようで、そのあたりの土を掘り取って、食べてしまった。

ついにこれと一体化したのである。

好きなものには徹底してこだわる。オトナのやることは渋いぜ。

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清・朱海「妄妄録」巻五より。

ひとはつねに愛するものについて語りそこなう。(ロラン・バルト)

なんだそうですが、さすがオトナの文学はオモシロく、ためになるぜ。

なお、張暁窗はこの性癖のせいで何度か幽霊にやりこめられるのですが、それはまたいずれのお話とさせていただきます。

 

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