平成28年6月30日(木)  目次へ  前回に戻る

ブタでもヒツジでもないなら、タコの可能性も・・・。

六月も今日で終わります。本来なら水無月の祓などを受けなければならないわけですが、今年は諸事情あって受けないことにしています。それでも、おいらの人生は、今月半ばに行われた職業変更によって、ほんの少しづつだがよくなっていく・・・はず。

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秦の穆公の時代、といいますから、西暦では前七世紀、という遠い遠い昔のこと。

陳倉人掘地得物。若羊非羊、若猪非猪。

陳倉のひと、地を掘りて物を得。羊のごとくして羊にあらず、猪のごとくして猪にあらず。

甘粛・陳倉の村びとが、地面を掘る作業をしていて、変なものを掘り出してしまった。

「これは何というドウブツじゃろうか」

ヒツジに似ているがヒツジでもなく、ブタに似ているがブタではない。

「とりあえず殿さまに献上するべえ」

純朴な時代でありました。

村人が、穆公に献上すべく、その謎のドウブツを引っ張って道を歩いていると、

逢二童子。童子曰、此名為媼。常在地食死人脳。若欲殺之、以柏挿其首。

二童子に逢う。

童子曰く、「これ、名づけて「媼」(おん)と為す。常に地に在りて死人の脳を食えり。もしこれを殺さんと欲すれば、柏を以てその首に挿せ」と。

二人の童子に出会いました。

童子たちが言うには、

「わーい、こいつは「おばあ」というドウブツでちゅよ。こいつは地中に棲息していて、人間の死体を見つけるとその頭に穴をあけて脳漿をちゅうちゅう吸うんでちゅ」

「こいつはなかなか退治できませんね。こいつを退治するときは柏の枝をその頭にぶちゅっと挿しこむしかないの」

すると、「媼」(おばあ)と呼ばれたドウブツが突然人間の言葉で語りだした。

彼二童子名為陳宝。得雄者王、得雌者伯。

かの二童子、名づけて「陳宝」と為す。雄を得る者は王、雌を得る者は伯ならん。

「この二人のコドモは、「陳宝」というバケモノだよ。大きい方を捕まえられたらそのひとは王になれるし、小さい方を捕まえたらそのひとは覇者になれる、というおタカラだよ」

陳倉の村人は一瞬考え込んだあと、

舎媼逐二童子。

媼を舎(す)て、二童子を逐う。

「媼」の方を放り出して、二人のコドモの方を追いかけた。

「うっひゃっひゃ、そう来まちたかーーー」「これはちかたなし」

ぼよよよ〜ん!

童子化為雉、飛入平林。

童子、化して雉と為り、飛びて平林に入る。

コドモたちは、キジに変身し、平地の林に飛び込んで行ってしまった。

村人は一挙両損したわけですが、

「せっかくここまで来たんじゃから、お殿さまに会っていこう」

と穆公にお目通りし、

「・・・・ということがございましたんじゃ」

とありのままを告げた。

穆公、「王」とか「覇」とかいう言葉に目の玉をギラギラさせて、

「よう知らせてくれたのう」

と村人にはほうびを取らせ、

発徒大猟。

徒を発して大いに猟す。

兵士らを徴発して、大規模に狩猟を行った。

そして、

果得其雌、又化為石。

果たしてその雌を得、また化して石と為れり。

なんとか小さい方のキジを捕まえた。ところがこのキジ、

ぼよよよ〜ん!

とまた変化して、石になってしまったのであった。

そこで穆公はこの石を「陳宝」と名づけ、甘粛・渭水のほとり、南陽の村にこの石を祀る祠を作らせた。

後、秦が覇者となったのはこの石のおかげであると言うことだ。

其後、光武起于南陽。

その後、光武、南陽に起こる。

さらにその後、後漢の創始者・光武帝は、この南陽の地から出たのである。

それもこの石の影響であったのだろうか。

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晋・干宝「捜神記」より。

すぐに、でなくてもいいので、だんだんとよくなっていきますように。

 

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