平成28年4月29(金)  目次へ  前回に戻る

「昭和枯れすすき〜」振り返ってみると、昭和が終わって28年、かなり無駄に過ごしてきたなあ。

この三連休も、すでに一日、無駄に過ごしてしまった。

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今日はキリ番を読みます。

晋の謝敷(しゃ・ふ)は字を慶緒といい、浙江・会稽のひと、

性澄靖寡欲、入太平山十余年、召皆不就。

性、澄靖にして寡欲、太平山に入りて十余年、召せどもみな就かず。

性格は清く澄みきり、安定していて欲望が少なかった。十数年間も会稽の太平山の山中に隠棲していて、朝廷から何度もお召しがあったがいろいろと理由をつけて応じようとしなかった。

さて。

ある年のある月のことでございます。

初月犯少微。少微一名処士星、占者以隠士当之。

初月、少微を犯す。少微は一に処士星と名づけ、占者、隠士を以てこれに当つ。

新月直後の月が、少微星の星域に入り込んだ。少微星はあるいは「処士星」と呼ばれる。占星術士たちは、「この星の正体は隠者である」としていた。

「処士」は家に処(お)りて仕官していない士のことです。これに対して、家に処りてヨメに行っていない女のことを「処女」という。

都・建業の在る呉中の地方では、

「我が呉中を代表する隠者の戴逵(たいき)さまの身に何かあるのではなかろうか」

と心配していたが、

俄而敷死。

俄かにして敷死せり。

会稽の謝敷が突然死した。

戴逵の方はなにごとも無かった。

そこで、

会稽人士、以嘲呉人云、呉中高士、求死不得死。

会稽の人士、以て呉人を嘲りて云う、「呉中の高士は死するを求むれども死するを得ず」と。

会稽の上流市民たちは呉中のひとびとを嘲笑して囃し立てた。

「呉中の高潔なお方(戴逵を指す)は、お死にになりたかったろうがお死にになれなんだ(我が謝敷さまには敵わなかったからね)」

と。

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「蒙求」巻中より「謝敷応星」(謝敷は星に応(こた)えた)。これがちょうど第二百話なんです。

早速、

「死んだひとも囃し立ててるやつもオロカですな」

「どういう教訓になっとるのだ? 朝礼でどう使えばいいんだ?」

「ハウツーは? なんのハウツーなの? 資格? お金儲け? わけわかんないわよ」

とご批判が湧いてまいりましょう。はいはい。そうですねー。

 

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