平成28年2月7日(日)  目次へ  前回に戻る

「初夢」は明日の晩だおー。

地震とかミサイルとか、たいへんですね。えーと、今日は何日だっけ・・・。

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「易」の古い一学派である「京氏易説」を打ち立てた漢の京房(はじめの名は李房)は、元帝(在位前49〜前33)のときに博士となり、天災地異のあるごとに、政治の在り方、時流の得失を論じる上疏を奉ったという。

あるとき、帝が二人きりの会話の中で、この大学者に質問したことがあった。

幽q之君何以亡。所任何人。

幽・qの君は何を以て亡べるか。任ずるところ何人ならん。

「周の幽王やq王は、何が原因で国をうしなったのか? どんなひとに国政を任せていたのか?」

q王は前9世紀、幽王は在位前781〜前771、いずれも道を踏み外した暗君として有名で、q王は臣下に国を追われ、幽王は犬戎族に殺されて、国政の権柄を喪った古代の王さまである。

京房答えて曰く、

其任人不忠。

その任ずる人、忠ならざるなり。

「任せていた者が、まごころの無いやつだったのでございます」

「ほう?」

帝は重ねて問われた。 

知不忠而任之、何邪。

不忠を知りてこれを任ずるは、何ぞや。

「まごころの無いやつだと知って任せていたのは、なぜじゃ?」

京房曰く、

亡国之君、各賢其臣。豈知不忠而任之。

亡国の君、おのおのその臣を賢とす。あに不忠を知りてこれを任ぜんや。

「国をうしなった君主は、みなさま自分の臣下は賢者たちである、と思っていたのでございます。どうしてまごころの無いやつだと知って、国政を任せることがありましょうか」

そして、地面に額をがんがんと打ち付けて(←深いお辞儀をしたのである)、申し上げた。

将恐今之視古、亦猶後之視今也。

まさに恐る、今のいにしえを視ること、またなお後の今を視るがごとからんことを。

「わたくしめは心配申し上げております。現代のわれわれがむかしの亡国の君主を見て(愚かなことをしたものだといぶかしんで)いるように、未来のひとびとがわれわれのことを見ることはないだろうか、ということを」

「う、うむ。むむむ」

帝は深くうなずいた。

主権者がよくよく心せねばならないコトバである。

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「世説新語」規箴第十より。

なお、この話はこれでは終わりません。京房がこのような発言をしたことを、帝は側近の宦官・石顕に告げた。石顕は京房が暗に示したのは帝の側近として大きな権力を揮う自分のことであると気づいたが、その場では「なるほど、さすがに賢者のお言葉、心せねばなりませぬなあ」とうべなった。

しばらくしてから、石顕は、京房を優遇して、郷里に近い河南の魏郡太守に任ずる人事案を奏上し、帝の了解を得た。こうして京房を帝の側から排除すると、翌年には職務に間違いがあったと称して獄に下し、獄中で殺したのであった。

 

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