平成27年11月6日(金)  目次へ  前回に戻る

ぶたがイヌやニワトリになったら上昇か?下降か?

やっと終末・・・かと思ったらまだ週末で、来週も来るという。ツラい。

今日は上田さんらと美味い焼肉食った。食っている間はにやにやしていたが、食い終わった瞬間からもうウツウツとして楽しまぬ。

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もしかしたら、道徳や正義ではなく食い物でシアワセになった、というのがいけないのかも知れません。

むかしのことですが、厳恢なる者が列子先生に問うた。

所為問道者為富、今得珠亦富矣。安用道。

問道者の為すところを富と為すも、今珠を得てまた富めり。いずくんぞ道を用ってせんや。

先生、よく「人として従うべき道を求める者は富を手に入れているのだ」と言われますが、(「道」に関係なく)たとえば真珠を手に入れればやはり富むことになるではありませんか。どうして「道」など求める必要があるのでしょうか。

うーん、なるほど、これはわたしも盲点をつかれた。もしかしたら「道」なんか求める必要ないのかも・・・。

これに対して列子先生、答えて曰く、

桀紂唯重利而軽道、是以亡。幸哉余未爾語也。

桀・紂はただ利を重んじて道を軽んず、ここを以て亡べり。幸いなるかな、余いまだ爾に語らざるなり。

夏の最後の王・桀、殷の最後の王・紂、彼らはみな、利益のことばかり考えて、「人として従うべき道」を軽視していた。そのために国を滅ぼし、自らも弑殺されたのだ。・・・なんにせよ、これまでお前にまだ次のような話をしていなかったのは、幸いだったなあ。

もしすでにこの話を聞いていて、しかもこのような質問をしたのなら、お前は救いようのないダメ人間と判断されたであろうから。

「はあ」

先生曰く―――

人而無義、唯食而已、是鷄狗也。

人にして義無くして、ただ食うのみなれば、これ鷄狗なり。

人間でありながら道義を理解せず、ただ食っているだけなら、そいつはイヌかニワトリである。

「ええー! そうなんですか!」

強食靡角、勝者為制、是禽獣也。

強食して角を靡し、勝者制を為すは、これ禽獣なり。

強い者が食うために角をこすりつけあい、勝った者が支配するというのは、鳥やけものの世界である。

「なんと!」

ニワトリやイヌや鳥やけものはそれでよろしい。しかし、

為鷄狗禽獣矣、而欲人之尊己、不可得也。

鷄狗禽獣たりて、しかも人の己を尊ばんことを欲するは、得べからざるなり。

ニワトリやイヌや鳥やけもののくせに、「人間がどうしておれを尊敬しないのだワン?」と思ったとしても、そんなことあり得ないことである。

他人に尊敬されないやつは危険とか屈辱にいつ襲われるかわからんのだぞ。

と。

・・・厳恢が納得したかどうかは記されておりません。が、むかしの人には純粋な人が多かったはずですから納得したのではないか、と思います。

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「列子」説符篇より。これまで幸いにも聞いたことがありませんでしたが、ただ食っているだけならイヌかニワトリなんだそうです。軽蔑されて当然である。よしそれなら明日から食わないことに・・・すれば尊敬されるのであろうか。尊敬されれば、こんなウツウツとしたキモチを、味あわなくていいのであろうか。しかしウツウツの最大原因はシゴトなので、どうせウツウツからは逃れられそうにないので明日もまた食うことにするのであろう、おいらは。

 

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