平成27年10月9日(金)  目次へ  前回に戻る

さらば現世。

週末。明日からしばらく休みます。会社もここの更新も。人間としての活動もほぼ終了していくかも。

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唐末の詩人・司空図(しくう・と)は咸通十年(869)の進士であるが、足疾(通風)を理由に辞職して、先祖伝来の河中・王官谷に帰ることになった。

曰く、

某宦情蕭索、百事無能。量才一宜休、揣分二宜休、耄而聵三宜休。

某は宦情蕭索として、百事に無能なり。才を量(はか)れば一の「休むべき」なり、分を揣(はか)れば二の「休むべき」なり、耄にして聵なれば三の「休むべき」なり。

わしは役人を続けていく意思がほとんど無く、また、なにをやってもうまくやれない。

才能を考えてみると、一つ目の「もう辞めた方がいい」に行きついた。人間としての分をわきまえれば、二つ目の「もう辞めた方がいい」に行きついた。おまけに年をとって耳も不自由になってきた。これで三つめの「もう辞めた方がいい」となった。

そこで、隠棲した先のあずまやに「三休亭」と名づけたのである。

このひとは物静かな人柄であったが、

言渉詭激不常、欲免当時之禍。

言は詭激にして常ならざるに渉(わた)り、当時の禍を免れんとす。

びっくりするような激しい言い方や不安定な発言が多かったのは、(奇矯な変人であることを装って)そのころの政官界の危険(まともなひとは次々と宦官や藩鎮ににらまれて殺された)を免れようとしたのであろう。

例えば、

予置冢棺、遇勝日引客坐壙中、賦詩酌酒、霑酔高歌。

あらかじめ冢棺を置き、勝日に遇えば客を引きて壙中に座し、詩を賦し酒を酌み、霑酒して高歌す。

生きているうちに墓の穴に棺を置いて、日柄がよいとその中に客を連れ込んで座らせ、詩を作り酒を飲み、酔っぱらって大声で歌った。

客有難者、曰、君何不廣耶。生死一致、君寧暫遊此中哉。

客に難ずる者有れば、曰く、「君なんぞ廣からざるや。生死一致なり、君むしろしばらくこの中に遊ばん」と。

客の中に「不謹慎ではないか」と批難する者もいたが、司空図は

「おまえさんはどうしてそんなに了見が狭いのじゃ? 生きていても、死んでしまっても、その間にそう大そうな違いはない。おまえさん、どうせならこの棺の中で自由気ままに過ごそうではないか」

と言っていた。

このころ、群盗が多く起こったが、彼らもこの王官谷にだけは、「あそこは賢者の隠れ棲むところだから」として侵入しなかったので、

士民依以避難。

士民よりて以て難を避く。

多くの読書人や人民が、この地に逃げ込んできていた。

そうである。

その最期は、

後聞哀帝遇弑、不食扼捥、嘔血数升而卒。

後に、哀帝の弑さるに遇い、食らわずして扼捥し、嘔血数升にして卒せり。

だいぶんのち、唐朝最後の皇帝・李柷(り・しゅく)(哀帝(在位904〜907))が朱全忠に弑殺されたという話を聞くと、絶食してじっと腕組みを続け、ついに数升の血を吐いて亡くなった。

という。唐王朝に殉じたわけだが、もしかしたらいい機会とぐらいに見て取ったのかも知れない。年七十二であったという。

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「唐書」に伝があるはずであるが、この記述は「唐才子伝」巻八から採った。

おいらも明日から、休む・辞める→変なことを言う→墓穴の中で飲食、のコンボで行きたいと思います。メシを食わずに吐血はちょっとつらいか。さらば。

 

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