平成27年8月31日(月)  目次へ  前回に戻る

忍者時代の自画像。

自画像でさえ見るとイヤになります。おれはこんなニンゲンか〜、と。自分で自分の写真を撮るひとの気がしれん。

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チンギスハンの宰相として名高い耶律楚材が、自分の肖像を描いてもらって、それに自分で批評をつけてみた。

有髪禅僧、無名居士。 有髪の禅僧、無名の居士。

人道甚似、我道便是。 人は道(い)う、甚だ似たり、と。我は道う、すなわち是なり、と。

 髪のある禅僧のような、名も無い在家信者のような。

 他人はこの絵を見て「よく似ているなあ」というが、自分では「本人そのまま」だと思う。

ああ、

塵塵劫劫露全身、 塵塵劫劫に全身を露(あら)わす、

紙上毫端何処避。 紙上、毫端、何れの処にか避けん。

「塵劫」(じんごう)は塵が集まって世界になって、また塵に戻るまでの長い長い時間をいう仏教語。

 長い長い時間のあいだに、自分のすべては(いずれ)さらけ出されざるを得ないのだ、

 紙の上、筆の先(で作られる画)も避けるわけにはいかない。

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元・湛然居士・耶律楚材「自賛」(「湛然居士文集」巻八)より。

本人そっくりの肖像は画が遺るかぎりその人も遺ってしまい、永久に「キモい」とか「変な顔」とか「ねじけた目をしている」など批評されたり嘲笑されたりするのでマズイ。似ていない方がいいのカモ。

 

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