平成27年6月24日(水)  目次へ  前回に戻る

「ごくつぶし」と「でくのぼう」、どちら被害大きいと思いますか?

今週は会社に行きたくないので、木を刻んで作った人形に代わりに行かせております。

その人形がシゴトから帰ってきて、「ぎ、ぎ、ぎ・・・」とぎこちなく言うには、

「ふ、服が、かっこ悪い、の、で、会社、で、軽んじられている、よ、ような、き、気、が、す、る・・・」

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「なんだと? わしも同じ服を着ているのだ。なぜだかわかっているのか?」

わしは人形に教え諭してやった。

吾言甚易知也、甚易行也。

わが言ははなはだ知り易きなり、甚だ行い易きなり。

わしの言うことはとてもわかりやすく、とても実行しやすいことばかりである。

而天下莫能知也、莫能行也。

しかして天下よく知るなく、よく行うなきなり。

しかるに、天下にわしの言うことを完全に理解している者はなく、完全に実行している者もいない。

どうしてであろうか。

言有宗、事有君。

言に宗有り、事には君有り。

ことばには宗旨、すなわち主張したい趣旨があるはずであり、モノゴトには指導者、すなわち指導的な綱領があるものである。

夫唯無知也、是以不我知。

それ、ただ知る無きなり、ここを以て我を知らざるなり。

ところが、まことの知恵が無いものだから、わしの言っていることがわからないのじゃ。

知我者希、則我貴也。

我を知る者は希(まれ)にして、我に則するものは貴ばる。

「則」の読み方に三説あります。

@  「則」は「賊」の仮借。「則我貴也」は「我に賊するは貴なり」と訓む。

(わしの言うことを理解する者は少ないので少数派だから、)おえらい方々はわしの妨害をする。

A  「則」は「のっとる」の意。「則我貴也」は「我にのっとるものは貴なり」と訓む。

(わしの言うことは正しいのにわしの言うことを理解する者は少ないので、)わしのまねをする者はたっとばれるであろう。

B  「則」は「すなわち」という接続の辞。「則我貴也」は「すなわち我貴ぶなり」と訓む。

(わしの言うことを理解する者は少ないので、そんな人を)わしは大切にしようと思う。

とりあえずAが適当でしょうか。

是以聖人被褐而懐玉。

ここを以て聖人は褐(かつ)を被(き)て玉を懐ろにす。

そういうわけで、聖人賢者は、粗布のそまつな服を着る(外見はみすぼらしいが)一方、ふところには玉を抱いて(内面は美しくして)世間の目に一目で賢者であるとわからないようにするものなのである。

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「なので、わしら聖人賢者はキタナイ服を着ているものなのだ!」

と木偶に言い聞かせる。

以上、「老子」下篇第70章でございました。

ちなみに、「老子」はこの章で、「ボロは着てても心はニシキであれ」といった石門心学流の倫理を教えているのではなく、「ボロを着ている方が何かと有利なんじゃぞ、ふっふっふ・・・」という「黄老学」流の戦術を披歴している、のでありますので、念のため申し添えておきます。

わしは木偶に向かい、さらに

「明日の朝早いんだから早く寝ろ! おまえはどうせ、会社に行く、というまさにそのことぐらいしかできないんだからな、ばーか、ばーか」

と怒鳴りつけた。

「ぎ、ぎ、ぎ・・・」

人形は恨みがましい目でわしを睨みおったわ。ふん、木偶人形の分際で・・・。

 

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