平成27年6月14日(日)  目次へ  前回に戻る

ニンゲンよ、われらドウブツから学ぶでぴょん。

日曜日終わりました。またウツに・・・。ドウブツとの愛情物語でも読んで心を癒してみます。

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宋の末ごろのこと、姚玉京は娼家の娘であったが、湖北・襄州の衛某という県吏のもとに嫁いだ。

二人は仲睦まじく暮らしていたが、ある年、衛は公務の最中に水中に落ち、溺死してしまった。

玉京は寡婦となった。

その彼女の家に、翌歳の春、

有双燕巣梁間。

双燕、梁間に巣くう有り。

つがいのツバメがやってきて、梁の上に巣を作った。

「おまえたちはいつまでも仲良くできるといいね」

玉京はつがいのツバメをやさしく見守っていた。

ところがある日、

一為鷙鳥撃死。

一は鷙鳥(しちょう)のために撃死せらる。

そのうちの一羽は、猛禽に攻撃されて死んでしまったのである。

一孤飛徘徊。

一は孤飛して徘徊せり。

もう一羽はひとり、悲しげに飛び回るばかりであった。

玉京は自分の身に起こった悲しみと重ね合せて、生き残ったツバメに毎日声をかけて励ましてやった。

そうこうするうちに春は過ぎ、夏も行き、ツバメは

至秋、止玉京臂上、儼如告別然。

秋に至りて玉京の臂上に止まりて、儼如(げんじょ)として告別然たり。

秋になると、玉京のてのひらに止まり、まったく、別れを告げる様子である。

「ああ、もう南の国に還るのだね。二羽で旅立った国に一羽で還らねばならないのか」

玉京は一枚の紙を

以紅縷繋足。

紅縷を以て足に繋ぐ。

赤い糸で足に結び付けた。

その紙に書きつけて曰く、

新春復来為吾侶也。

新春また来たりて吾が侶たれ。

―――来年の春また来て、わたしを慰めておくれ。

と。

・・・・・冬が過ぎました・・・・・。

明年果至。

明年果たして至れり。

翌年の春、果たしてツバメはまた玉京の家にやってきた。

その足には去年結び付けてやったのとは違う糸で一枚の紙きれが結び付けられていた。

「あらまあ!」

昔時無偶去、 昔時、偶無くして去り、

今年還独帰。 今年また独り帰る。

故人恩義重、 故人の恩義重く、

不忍更双飛。 さらに双飛に忍びず。

 昨年こちらを一羽だけで飛び立って行ったのですが、

 今年も一羽で戻ってきました。

 お知り合いのあなたのことを大切に思ってか、

 つがいを見つけようとせずにまた一羽でそちらに向かいます。

「そうかい、そうかい・・・」

このツバメは南の国でも、心あるひとの家に巣を作っていたものらしい。

かくして、

自爾秋帰春来、凡六七年。

これより秋に帰り春に来たりておよそ六七年なり。

それから六年か七年の間、ツバメは秋に南に行き春には北に戻ってきて、その間、玉京と南国の誰とも知れぬひととの間の手紙を毎年運んだのであた。

けれど、七年目に玉京は死んでしまった。

明年燕来周章哀鳴。

明年、燕来たりて周章し哀鳴す。

翌年の春、ツバメはいつもの年のようにやってきて、玉京の姿がないので、あわてふためき、哀しげに鳴いた。

家にいた親族がツバメに

玉京墳在南郭。

玉京の墳は南郭に在り。

「玉京のお墓は町の南の郊外にあるよ」

と教えてやると、

燕遂飛至墳所。

燕はついに飛びて墳所に至る。

ツバメはお墓の方に飛んで行った。

そしてお墓のあたりに巣を作って、なお二三年は春になると戻ってきていたようだが、やがて誰もその姿を見なくなった。

けれど、今に至るも

毎風清月明、襄人見玉京与燕同遊漢水之濱。

風清く月明らかなるごとに、襄人、玉京と燕の漢水の浜に同遊するを見る。

襄州のひとたちは、風のさわやかな月の明るい晩には、

「今夜あたりは、ほら、玉京さんとツバメとが漢水のほとりで遊んでいるのが見えるだろう」

と言い合うのであった。

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明・王文録「與物伝」より(一部脚色あり)。「物に与(くみ)するの伝」(ドウブツたちの弁護をする物語集)は、人間として学ぶところの在りそうな、いにしえよりのドウブツたちの心温まる行動を集めてみた、という本なので、おそらくこの玉京とツバメの物語も、筆者が作ったのではなくてもともとはいにしえよりの別の本に書かれていたのだと思います。

なお筆者は、このお話を語ったあと、

娼女守孀、燕為之死、皆世所罕。

娼女の孀を守り、燕のこれがために死するは、みな世に罕なるところなり。

娼家の娘が後家を通す。そしてツバメがその人に殉じて死ぬ。どちらも世にもまれなることではないか。

とすっごくマジメ?な評価を下しておられます。

何百年も前の異国の人ですが、すっごくマジメな人だったのかなあ、と感じ入るところ。

なお、悪いツバメの悲劇の物語は→こちら

 

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