平成27年3月14日(土)  目次へ  前回に戻る

(←音楽で治められる民の時代・・・)

天候のご挨拶から。今日は陽の当たる昼間は暑いぐらいあたたかかったのに、日が陰りはじめると寒くなった。特に風が冷たかったですなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夏王朝の創始者であられる禹王は、

出見罪人、下車問而泣之。

出でて罪人を見れば、下車し問いてこれに泣く。

外出して罪人が引き立てられているのを見ると、車から下りてその人に事情を問い、そして泣いた。

左右の者が

夫罪人不順道、故使然焉。君王何為痛之至于此也。

それ、罪人は道に順わず、故に然らしむるなり。君王何すれぞこれを痛むこと、ここに至れるや。

「あのー、罪ある人は遵守すべきことを守らなかったんです。それでこんなことになっているのです。王さまがどうしてこのことで心をこんなに痛める必要がありましょうか」

と申し上げると、禹王答えて曰く、

堯舜之人、皆以堯舜之心為心。今寡人為君也、百姓各自以其心為心、是以痛之。

堯・舜のひと、みな堯・舜の心を以て心と為せり。今、寡人の君たるや、百姓おのおの自らその心を以て心と為す、ここを以てこれを痛むなり。

「先々代の王であった堯さま、先代の王であった舜さま、お二人の時代の人民どもは、みな堯さま・舜さまの御意志そのままに生きていたものじゃ。ところが、今、わしが君主になったら、人民どもはそれぞれ自分の意志で生きている。このことに心を痛めたのじゃ」

と。

書曰、百姓有罪、在予一人。

書に曰く「百姓罪有れば予一人に在り」と。

「尚書」泰誓篇に周の武王の言葉として、

「人民どもがあやまちを犯す責任は、わしひとりが負うぞよ」

とあるのは、このことと同じことである。

(ただしこのコトバは「論語」や「韓詩外伝」にも武王の言葉とせずに引かれているので、おそらく先秦時代の慣用句的なものなのであろうといわれる。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「説苑」巻一より。

ほんとはこれらの伝説の裏に、「供犠として捧げられる王」という人類学的なテーマが隠れている・・・のかも知れないのですが、いにしえの聖王はたいてい「太陽と北風」の「太陽」として世の中を治めておられたんです。でもホントはネズミの嫁さんが一番エライんだったっけ?

 

表紙へ 次へ