平成27年1月18日(日)  目次へ  前回に戻る

「マボロシの影」でも、現実よりはマシ

昨日の島地黙斎の詩の題は「遊初島」(初島に遊ぶ)でしたー。よって温暖斎が黒潮に乗って到着した島は熱海沖の初島だったんですね。伊豆は今ごろ水仙の花盛りですから、温暖斎も少しはいいにおいになっているのではないでしょうか。

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さてさて。

黄鶴酔翁というのはいつごろの人であろうか。

彼自身の語ったところによると、ずいぶんむかしむかしに

戴翠冠披鶴氅、侍西王母婉姈之駕、月夜遊緱山。

翠冠を戴き鶴氅(かくしょう)を披(き)て、西王母の婉姈の駕の月夜に緱山(こうざん)に遊ぶに侍せり。

みどりの冠をかぶり、鶴の羽毛の上着を着て、崑崙山に住む女神・西王母さまの女らしいスマートな一行が月の夜に緱山にお出かけになるのに、付き従ったのでした。

このとき、えらいことをしてしまいましたのじゃ。

被酒、失三青鳥。

酒を被りて、三青鳥を失う。

酒を飲み過ぎて、世話を仰せつかっていた西王母さまの使いの青い鳥を、三羽まで逃がしてしまったのじゃ。

西王母さまは美しい眉をひそめてかなりお怒りの様子であられたので、

「これはいかん!」

遯於橘中。

橘の中に遯(のが)る。

みかんの実の中に逃げ込んだ。

ご承知のとおり、みかんの実を割ると、

得龐眉二叟対奕。其一即翁也。

龐眉二叟の対奕するを得。その一すなわち翁なり。

眉の長いじじいが二人、碁を打っているような姿が見えるが、そのうちの一人がこのわしなのじゃ。

―――ゲンダイのみかん類を割ってもそんなものは出てきませんが、むかしの人はそんなふうに感じていたのでしょう。

さて、黄鶴酔翁はみかんの中がだんだん退屈になって、

遂携一剣一拂一鉄笛、三過岳陽。

遂に一剣、一拂、一鉄笛を携えて、三たび岳陽を過ぐ。

とうとうみかんの中から飛び出して、一本の剣、一本の払子、一本の鉄製の笛を携えて旅に出、その途上、湖南岳陽の地を通り過ぎることに三度にも及んだ。

毎回、洞庭湖のほとりの辛ばあさんの居酒屋で御馳走になっていたが、

久之、負酒銭。

これを久しくして酒銭を負う。

長いこと酒代は借りたままにしていたのであった。

四度めに来たとき、翁は「これでカンベンしてくれい」と

取酒核辺黄橘、画鶴一隻遺媼。

酒核辺の黄橘を取り、鶴一隻を画いて媼に遺す。

酒の肴に出されていた、みかんを一個取りまして、その黄色い汁で以て壁に一羽のツルの画を描き、ばあさんにのこしていった。

この黄色いツルこそ名高い「黄鶴」である。

客至拍手、鶴輙下舞、去則鶴隠壁。

客至りて拍手するに、鶴すなわち下りて舞い、去れば鶴、壁に隠る。

お客さんが来て拍手をすると、画の中のツルが下りてきて、客の前で踊る。客がいなくなれば鶴はまた壁の画の中に戻るのである。

この不思議なツルが有名になった。

媼用是獲資鉅萬。

媼これを用いて資を獲ること鉅萬なり。

ばあさんは、この壁画を呼びものして客を集め、巨万の富を得ることができた。

そして、ついにその壁を中心に、まわりに大きなたかどのを建築した。これが「黄鶴楼」なのでございます。

ある日、翁が久しぶりにやってまいりました。

そしてばあさんに向かって言うに

鶴之償酒足乎。

鶴の酒を償うこと足れるか。

「どうですかな。ツルはなんとかわしの酒代ぐらいは稼ぎましたかな?」

と。

媼笑謝。

媼笑いて謝す。

ばあさんにっこり笑ってお礼を言うた。

翁はまた酒を頼み、相当に酔うと、

自吹鉄笛一闋、従壁闖オ鶴騎去。

自ら鉄笛を吹くこと一闋(いっけつ)、壁閧謔闥゚を招きて騎りて去る。

みずから携えている鉄の笛を取りだして、一曲吹いた。笛に応じて壁画から鶴が出てきたので、それにまたがると飛び去って行った・・・

・・・というのは、むかしから有名な「黄鶴楼伝説」唐・王轂「報応録」等に出る)そのものであります。

ところが最近、この翁がまた現れたというのである。

今度はじじいの姿ではなく、

化為三十歳男子、易翠冠鶴氅、為進賢冠朱衣、所騎鶴化為黄童、払花為斑管、鉄笛化為鐸、独剣不化耳。

化して三十歳男子と為り、翠冠と鶴氅を易(か)えて進賢冠と朱衣と為し、騎するところの鶴は化して黄童と為り、拂花は斑管と為し、鉄笛は化して鐸(たく)と為り、ひとり剣の化せざるのみ。

三十歳ぐらいの若者になった。仙人の衣装である翠の冠と鶴羽の上着は着ずに、儒者のしるしの進賢冠をかぶって赤い服を着ている。乗って行った黄鶴は、今度は黄色い服の童子に変化してつきしたがい、払子はまだら模様の軸の筆、鉄の笛は鉄の鈴に変わっていて、ただ剣だけは以前と同じに携えている。

その若者と童子、南京の町に現れたのだ。―――(続く)

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なんだこれ、というヘンな文章ですが、明・陳鑑「黄鶴酔翁伝」という「小品」(短い文学作品)です(「明人小品集」所収)。作者の陳鑑は字を貞明といい、江西・高安のひと、明の宣徳年間(1426〜1435)の進士である。

さて、この二人、何を仕出かすのかな? 続きは次回に・・・と思ったが、なんと明日はまた月曜日! 生き抜いて帰ってこれてしかも精神的に溌剌たる気分であったら、更新します。ムリだと思うけど・・・。

 

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