平成26年12月25日(木)  目次へ  前回に戻る

昨日夜更かししたからか・・・

また目がおかしくなってきましたよ。ちょっと夜が遅くなると結膜炎もどきになる。シックハウスなのカモ?

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せっかくなので、おうちのお話でもいたしましょう。

六朝・南斉の張融は字を思光といい、呉郡の呉のひと。晋代以来の貴族の子孫で父の張暢も宋の時代に会稽太守まで務めた名家の出である。

文章に巧みにして友誼に篤く、性飄逸であった。

張融が実家を出て分家したというので、時の皇帝(斉の世祖・武帝)が訊ねた。

住在何処。

住みて何処に在りや。

いったいどういうところを住処に定めたのかな?

融、答えて曰く、

臣陸処無屋、舟居非水。

臣、陸に処りて屋無く、舟に居るも水ならず。

やつがれは陸上にいるのですが家がございません。舟に暮らしているのですが水上ではございません。

と。

帝はからかっているのかと一瞬思った。

後に融の兄の張緒をつかまえて融の日頃を訊いてみたところ、

融近東出未有居止権。

融、近く東出して、いまだ独り居止の権あらず。

融めは最近東の方に分家しまして、独りで暮らしていますが、まだまだ定住のはかりごとはなされておりませぬ。

そして、

牽小船於岸上住。

小船を岸上に牽きて住す。

小舟を岸の上に引き上げて、その中で起居しております。

ということであった。

皇帝はこれを聞いて、

「なるほどそれならウソではなかったのだな」

と大いに満足したそうでございます。

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「南斉書」巻四十一・張融列伝より。

あんまり有名ではありませんが、この故事から、「張融の船」という成語が造られました。「ぼろい、みすぼらしい住宅」という意味です。昭和の昔、ドンキッこが放棄された路面電車を家にして暮らしていた(石森章太郎による)が、あの感じでしょうか。わしの家もだいたい同じなので親近感湧きますが、「寝て一畳」よりももっと広いのでわしなどには広すぎるキライがある。

 

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