平成26年11月13日(水)  目次へ  前回に戻る

セミよりは長生きした

疲れたしやる気というものがあまりないので、昨日は更新できませなんだ。

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そして今日も疲れた。やる気ない。

どうせニンゲンなんていうものは

出生入死。生之徒十有三、死之徒十有三。

生に出でて死に入るなり。生の徒は十に三有りて、死の徒も十に三有り。

生まれてきて、そのうち死ぬのである。この中で、十分に生きるひとは十人に三人(三分の一)、死の方に早めに行ってしまうひとが十人に三人(三分の一)いる。

「徒」を「ひと」と解して訳しました。「徒」を「途」の仮借で「道」=「やり方:行動様式」の意と解し、「十の行為のうち、長生きに役立つ行動が三分の一、早死ににつながる行動が三分の一」とする説もありますが、どちらが正しいかわからないので、より簡単な「徒=ひと」説を採用しておきます。

では、のこりの三分の一のひとは、といいますと、

人之生、動之死地、亦十有三。夫何故、以其生生之厚。

人の生きて、動きて死地に之(ゆ)くものまた十に三有り。それ何故ぞ、その生を生きんとすることの厚きを以てなり。

生き抜こうとしていろいろ行動して、そのせいで死の方に向かってしまうものがまた十人に三人いるのだ。なぜそんなことになるのか。生き抜くことへの意志が強すぎるからである。

結局死の方へ行くみたい。

さて、

蓋聞善摂生者、陸行不遇兕虎、入軍不被甲兵。

けだし聞くに、善く生を摂する者は、陸行して兕(じ)・虎(こ)に遇わず、軍に入るも甲兵を被らず。

わたしが聞いているところでは、生命を上手に養える者は、山路を行っても兕(じ)や虎の被害を受けることが無く、戦場においてもかぶとのような防具を身につけない、ということだ。

「兕」(じ)はようく字面を見ていただきますと、象形文字なので何となくそいつの姿が目に浮かんでくるかと思いますが、鼻先に一本の角の生えた猛獣で、水牛または犀(さい)を指す。

生命を養う者は、

兕無所投其角、虎無所措其爪、兵無所容其刃。

兕もその角を投ずるところ無く、虎もその爪を措(お)くところ無く、兵もその刃を容るるところ無きなり。

一角獣もその角で突く場所が無く、トラもその爪で引っ掛ける場所が無く、刀剣などの武器もその刃が入り込む場所が無いのだ。

夫何故、以其無死地。

それ何故ぞ、その死地無きを以てなり。

どうしてそんなことになるのか。そのひとには、死ぬ地合が無いからである。

何の説明にもなっていない気がしますが、結果から理由を推定するに、そういうことなのだろうとしか考えられないことは確かにあります。暴飲暴食なのに長生きするひととか・・・。

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「老子」第五十章「出生入死」章

ニンゲンの三分の二は死地に向かうということです。これまで食生活のわりになんとか生き抜いてきたおいらも、いまのしごとについてから3か月で体重増5キロ。どう考えても心不全的な死地に向かっている、いや、向かわされているのである。しかも明日も平日。

 

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