平成26年6月5日(木)  目次へ  前回に戻る

 

今日は飲み会。開始30分ぐらいでもう頭痛が。ぎぎぎ。

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元の時代、福建のひと孫起岩が杭州に来て、友人某とともに興元寺に宿泊したときのこと。

興元寺はかつて南宋の亡命政権が杭州を都としたとき、宮廷のあった場所である。

寺には

有大閣。旧常朝殿所為也。夜宿其側。

大閣あり。旧常朝殿と為すところなり。夜、その側に宿す。

大きな堂があった。これこそ、かつて南宋宮廷の朝政の場であった「常朝殿」であった建物である。孫とその友人はそのお堂の側の部屋に床を延べた。

深夜。

うわあああああーーーーーーーーーーー!!!!!

大呼、一寺皆驚。

大いに呼ばい、一寺みな驚く。

大きな叫び声が聞こえ、寺中の住人はみな目を覚ました。

みないったい何事かと騒ぎ立てたが、これは

乃其魘也。

すなわちその魘(えん)なり。

実は孫が悪夢を見て叫んだのであった。

孫は、

既寤、尚不能言。

既に寤(さ)むるも、なお言うあたわず。

目を覚ました後も、しばらくは何事があったのか、言葉にすることができないほど、怖れていた。

やがてようやく口にしたことには、―――

夢登閣、為衣朱紫者数人、執而責之。曰、汝不能作詩、輙敢登此。

夢に閣に登るに、朱紫を衣(き)たる者数人の執りてこれを責むるところとなる。曰く、「汝、詩を作るあたわざるに、すなわち敢えてここに登るか」と。

夢の中でそこの大きなお堂に入ったのだ。すると、朱色や紫色の服を着た高貴なひとたちが数人現れて、わたしを捕らえ、

「おまえは詩を作る能力など無いではないか。そのおまえがなぜここに入ってきたのか?」

と責めたてたのだ。

彼らは憤懣やるかたない様子であったが、怒っているうちに人間としての形が崩れ出し、どろどろと溶けて不気味な姿を見せはじめた。そしてさらに

欲殴之、得一人解、遂得釈。

これを殴らんと欲するも、一人の解くを得て、ついに釈かるるを得。

わたしに殴りかかろうとしたのだ。(そこで大声を出して助けを求めたところ、)お堂の中におられた別の方がわたしをゆるしてやるようにおっしゃってくれ、釈放されて目を覚ましたのである。

―――というのであった。

夢の中での位置関係を確認すると、「別の方」というのは、堂の中央に安置されいた仏像であろうと思われた。

杜甫の詩の中に、

詩成泣鬼神。  詩成りて鬼神を泣かしむ。

出来た詩を見て、幽霊たちも泣いた。

という句があるが、霊的なる者たちが詩を欲することかくのごときであり、まことに詩は幽霊たちをも感動させることができるのだ、ということがよくわかるではないか。

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元・吾衍「闍序^」より。最後の分析は科学的で勉強になりますね。

いまも頭が痛いので、わしも悪夢を見そうで、今晩みなさんの家にも聞えるぐらい大きな声で叫ぶかも。ああ、しかし今宵神仏の加護あって平穏の眠りを貪ったとて、明日の朝起きても金曜日、平日の悪夢はまだ続いているのだ・・・。

 

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