平成26年5月14日(水)  目次へ  前回に戻る

 

ウツ。ニンゲン、特に自分がイヤになってきました・・・。季節の変わり目なのかも。

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明、萬暦の半ばごろのことです。

湖北・江陵のひと東明居士・田大年はわし(←肝冷童子にあらず、明のひと江盈科)の友人で、進士に合格した後、河北・魏県の知事となって廉直と評価された。任期いっぱい務めて中央に呼び戻され、戸部の主政官に転任したが、親族に不幸があってその喪に服するため郷里に戻ったのであった。

わしはその服喪中に、彼の家を見舞いに立ち寄ったときに、その清貧の生活に感激して、

年兄居官清苦。

年兄、官に居りて清苦なり。

「大年の兄貴は、役職に就いている間、ほんとうに(役得を得ずに)清廉で苦しい生活をしていたんですね」

と言った。

すると田大年、苦笑して曰く、

往年在官只知清、今日在家方知苦。

往年官に在りてはただ清なるを知るも、今日家に在りてまさに苦しきを知れり。

「先に役職に就いていたときは(清・苦ではなく)単に清廉な生活をしていただけだが、こうやって郷里に帰ってきて、ほんとうに「苦々しい」ということを知ったよ」

と。

「どういうことですか?」

「同郷のひとたちはわたしについて、こそこそとウワサしているのだが、そのウワサが真っ二つに分かれているのだ」

「ほほう」

「その一は、

這人蠢、不会做官、六年知県尚無房住。

この人蠢(おろか)にして、官を做(な)すを会せず、六年知県してなお房無くして住む。

『あいつは愚か者だね。役人としての生き方を知らない。任期いっぱいの六年間も県知事をやらせてもらって、まだ別荘の一つも持てないのだからな』。

その二は、

這人巧、他蔵得銀子在、不要人知。

この人巧みなり、かれ銀子を蔵得して在れども、人の知るを要せず。

『あいつは大したお上手者だよ。ずいぶんの銀貨も得てきただろうに、他人にそんなふうに見せないんだからな』

というのだ。

愚か者だといわれる方はがまんできるが、お上手者だと言われるのは苦々しくてがまんならない」

「なーるへそ」

わしは言いました。

里中俗児、他重富不重廉。説我巧、我却耐得。

里中の俗児、かれ富を重んじて廉を重んぜず。我を巧みなりと説くは、我かえって耐え得ん。

「いなかの俗物どもは、カネばかりが大切で、清廉であることを大切に思わないからね。(われわれは逆だから、俗物どもが)『あいつはお上手者だ』と言ってくれるなら、こちらは『おれは「清廉」なのに俗物のみなさんにはそんなふうに見せない点が上手なのだ』と思っておけば、がまんできるのではないかね」

これを聞いて、

東明発笑。

東明、笑を発す。

東明居士は大笑いした。

「なーるほどなあ、わっはっは」

わしも一緒に大笑いした。

「わっはっは」

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以上。明・江盈科「談叢」より。喪中だったような気がするのですが、大笑いしててもその点はいいのか・・・というところが気になりますが、どこに行ってもイヤなことばかりなのだ、というのはヒシヒシと伝わってまいりました。

昨日聞いたところでは、おいら(←肝冷童子のこと)が沖縄に不動産持っているらしい、と言うひとがいるらしいんでちゅよ。コドモなのに? その人によると、そのためにおいらは毎月何回か沖縄に行っているらしい、のだそうです。ほんとにそうならお上手者でちゅねー。いいなー。

 

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