平成26年3月7日(金)  目次へ  前回に戻る

 

今日も寒かった。しかし晩にお美味いおふらんす料理食ったので心は豊かである。

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清末、湖南でのこと。

とある村の貧しいひとに子どもがいたが、

生而喑唖。

生じて喑唖(いんあ)なり。

生まれつき耳と口が不自由であった。

しかしたいへんマジメな子で、家が貧しいので幼いうちから

為人賃舂、既不与人酬対、舂粟嘗倍他人、人以是争賃之。

人の為に賃舂するに、既にひとと酬対せず、粟を舂くにかつて他人に倍すれば、人これを以て争いてこれを賃す。

他人に日雇いで粟搗きのしごとをしたが、もちろんほかのひとと無駄口を叩くことも無く、他人の二倍の粟を搗いてくれるので、村人は争って彼にしごとを頼んだ。

毎日数十文の日銭を稼いで親に金を入れていたが、生き物が好きで、

以放生為事。

放生を以て事と為せり。

余った金で、ひとに捕らわれた生き物を買い取り、少しでも自然に帰してやるのを楽しみにしていた。

周りのひとらも豊かではなかったが、その子の心根の優しいのを知っていたので、

如鳥雀魚蝦之類、人亦以賤貨售之、十余年不稍懈。

鳥雀魚蝦の類の如き、人また賤貨を以てこれを售(う)れば、十余年、ややもおこたらず。

鳥や雀や魚、エビの類を売る人たちも彼が求めれば安く売ってやったから、乏しい稼ぎではあったが、彼は十余年の間、毎日少しづつ生き物を自然に帰してやったのであった。

こうして彼もいい若者になったころ、なんと・・・

一日忽開声能言。

一日、たちまち声を開きよく言えり。

ある日、突然、耳が聞え、ことばをしゃべれるようになったのである。

人民たちはこのことに感激し、

好生之報不爽。

好生の報、爽(たが)わず。

生き物を大切にしたので、やはりその報いがあったのだ。

と涙しながら、若者に向かって「なむあみだ、なむあみだ」と手を合わせた。

―――が、わし(←著者)は書物を読んでいる人間である。人民どものように愚かでは無い。思うに、

唖子心思専一、其胸中一腔生意、自与天地絪縕之気相感。正不必援引釈氏報応之説。

唖子、心思専一なれば、その胸中一腔の生意はおのずから天地の絪縕(いんうん)の気と相感せるなり。正しく必ずしも釈氏報応の説を援引せず。

この口の利けない子は、心が純粋であった。その胸の中にいっぱいの生き物を大切にしたい、という気持ちが、おのずと天地の間に充満する根源エネルギーと互いに影響を及ぼしあっ(て、ついに口が利けるようになっ)たのであろう。どうしてわざわざ仏教の応報説などを引いてくる必要があるだろうか。

今日は佐村河内氏が会見して、数年前から回復?し「感音性難聴」であったことが明らかになりましたが、やっぱりこういうことはある・・・んです・・・かも。

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「水窗春囈」(すいそうしゅんげい)巻上より。この書は清の後半期の政治・社会・風俗の実相を約100か条にわたって記録した、なかなか興趣尽きない本ですが、著者は「上巻」は湖南・湘譚のひと欧陽兆熊(彼は曽国藩の友人であったという)の撰、これに浙江・嘉善のひと金安清が「下巻」を書きついで、光緒三年(1877)に出版したもの。ということですから、今日の記述は欧陽兆熊の方が書いたことになります。刊本の中に「下巻は金が書いた」とはっきり書いてあるので過ちはありませんが、もしそういう記述が無ければゴーストライティングになってしまうところでした。なお、題名の中の「囈」(げい)は「うわごと」とか「たわごと」の意。

(それにしても「読書人」というのは実に下らんことを言う人種だ。まだしもおいらの方がましなことを言っているのではないだろうか)

 

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