平成26年1月23日(木)  目次へ  前回に戻る

 

「ぴきー、もう明日から会社なんか来るもんか!」

と言い捨てて会社を出てきてしまいました。

帰りの電車で読書してて、久しぶりでオモシロそうな島見つけた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここには「海神(わたかなし)」という神様がいて、

ナルコテルコ(←海上の常世の国)より来る神とは別也。島の神也。陰嚢大にして地にひく。茎も又嚢に類す。

そうである。これは「をうできう」と同じヤツかも知れない。

また、この島には、

○文雅の者、壱人もこれ無し。

そして、

○酒と色とを専らとし、利欲を事とするは、大和の人より甚だし。かりにも雅情などいう事なし。

だそうである。ただし、音曲や将棋・囲碁、算数などについては本土のやつらより数段すぐれているそうである。

紙はもちろん、縄のようなものも貴重なので使えず、

○用便の後、尻の穴に砂を打ち込みおくと言う。

ただし、これはニヤニヤしながら教えてくれたので、ほんとかどうか、疑わしい。

ところで、この書物の著者である幕末・薩摩のひと名越左源太時行は、藩内の政争に巻き込まれてこの島に流罪になっていた相当学問もある人であるが、雪隠(せっちん)とか排泄ネタの話がどうも大好きのように思われます。

この島では雪隠のある家は少なく、豊かな村でも十戸に一軒ぐらいしか無い。雪隠がある場合、母屋から離れたところに雪隠小屋が設けてあるのだが、

糞落としの穴、ようやく四、五寸、方に明けたり。

という小さな穴しかない。

わたしは島に流されてからしばらくは、

大小用の節ごとに甚だ心配したり。

何を心配したかといいますと、尿をこぼさないようにすることを心配した。そこで、

金玉を抱きて陽物を尻の方へ押さへ付けて小便を通せしこと数月、はなはだ難儀のかまえなりし。

その後、小便は穴にするのでなく踏み板にそのまましてしまえばいい、ということを知った。悪臭耐えがたいのはそのせいである、云々。

このように穴が小さいのは、犬に人糞を食われないようにしているのではないか、云々。

また、ある村は、とうとう雪隠皆無という村であった。

雪隠はいずれかと問うに「無し」と云う。

「どうすればいいのか」と訊くと、

村より十間ばかり離れて大便をなす処あり。

と言うので行ってみたところ、

浜辺にガヅマルの大木ありて、土手の上より横たわり茂れり。それに村中の男女登って大便を落とす。

ということになっていた。

そこでわたし(←名越左源太である)もその木に登って下を見たところ、

数年の大便を三か所に山のごとく積み立て悪臭紛々たり。それを見るや否やその所に用事すべきは置きて二目と見がたく、忽ちに走り帰れり。

しかたないので、

村なかのガヅマル木に登りてようやく用事済みたり。

ああよかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

などなど。名越左源太「南嶋雑話」より。この島は(もしこの記述のとおりだとしたら、)おもしろそうです。おいらは海賊なので島には興味があるし、明日からもう会社に行かないことにしたのだったから、・・・よーし、明日海賊船で調べに行ってみるか。→調査中

 

表紙へ  次へ