平成25年12月18日(水)  目次へ  前回に戻る

 

今日は飲み会無し。しかし寒い。今日は何か心温まるお話を・・・。

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むかし、四川地方に大きな橋があって、そのほとりに一人の僧がおった。

この僧、行いを謹み、善を為さんことを思いて怠ること無し。ひまがあれば、

織草履掛橋上。過者欲取則取之。

草履を織りて橋上に掛く。過ぎる者、取らんと欲すればこれを取るなり。

草履を編み、橋の上に引っ掛けておく。旅ゆく人が、新しい草履が必要であれば無料で持って行ってよい。

という社会奉仕をはじめ、立派な行いをたくさんしておったのじゃ。

ところが、

一日雨下霹靂大震。視之則此僧脳裂而斃矣。

一日、雨下り霹靂大震す。これを視ればこの僧、脳裂けて斃れたり。

ある日のこと、雨が降り、が大いに落ちた。落雷したところを見るに、この僧が頭が割れ、脳みそが飛び出して死んでいたのである。

「かわいそうに・・・」

ひとびとみな、

以為誤。

以て誤つと為す。

(雷は悪人を攻撃するものであるが、この僧は善人であったから)雷は間違ったのであろう。

と言い合った。しかし、中には、

疑其隠匿。

その隠匿を疑う。

「なあに、外には見えない隠し事がおありだったのだろうよ」

と僧の欺瞞を疑う者もおったそうだ。

ただ、頭は裂けて脳みそ飛び出したりとはいえ、胸のあたりがまだ温かかったので、まわりの人たちは遺骸を葬らずに置いておいた。

・・・すると、

五日則復甦。

五日にしてすなわちまたよみがえる。

五日経ったら、生き返ったのであった。

生き返った僧の話によると―――

始被撃時、既死。雷神驚曰、誤矣。

始め撃たるる時、既に死す。雷神驚きて曰く、「誤てり」と。

カミナリに打たれたそのとき、わたしは死んだ。すると、カミナリ神が驚いて、「しまった、間違ったぞ」と言っているのが聞こえた。

カミナリの神は多数の霊鬼を連れていたが、すぐに彼らに

「クスリを持ってこい」

と命じて大きな壺に入った軟膏を持ってこさせると、僧の脳みそを割れた頭の中に押し込み、それから頭の上に軟膏をたっぷり塗りつけると、

令衆鬼揉合破処。

衆鬼に令して破処を揉合せしむ。

多数の霊鬼どもに、破れたところをよく揉んで、引っ張ってくっつけ直すように命じた。

霊鬼どもは「わかりまちたー」「またかよー」「なかなかひっつかないんでちゅよねー」と口ぐちに言いながら命令どおりに割れた頭蓋骨を揉んで柔らかくし、引っ張ってくっつけ直すとまたそこを揉んで練り合わせた。

作業が始まってだいぶん経ってから、雷神はわたしに向かって、少し自信なさそうに、

「だいたい引っ付いた。これで大丈夫だと思うから、そろそろおまえは帰るがいい」

とおっしゃった。

で、気が付いてみると、死んでから五日経っていたのである。

―――というのであった。

そこで、みんなで割れていた頭を見てみると、

視其頭皮雖連而骨已砕作八楞状。

その頭皮を視るに、連なるといえども骨すでに砕けて八楞状を作す。

楞(りょう、ろう)は「五稜郭」の「稜」(りょう)と同じで「角」「でっぱり」。

その頭の部分を見てみると、たしかに頭皮はつながっていはいたが、頭蓋骨は砕けたままで、八つのとんがりのある穴が開いているようだ。

それは八弁の蓮華が頭頂に咲いているようにも見えた。

ついにひとびとは

因呼之為蓮華和尚。

因りてこれを呼びて「蓮華和尚」と為す。

それ以降、この僧のことを「蓮華和尚さま」とお呼びするようになったのであった。

以上。

この事件は、呉某が四川にいたときに起こったことで、呉がその目で見た、というので、

「あなたはその電撃の瞬間を見たのか」

と問うてみたところ、そうではなく、蓮華和尚と会ったことがあり、親しく話したことがある、ということであった。

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明・祝允明「志怪録」より。

心は温まりませんでしたが、頭が割れて脳みそが飛び出すと、「雷界」の医学でも完全には元に戻せないようである、という冷徹な科学的知識は得ることができた。

 

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