平成25年11月13日(水)  目次へ  前回に戻る

 

明日になってもまだ木曜日。寒いし。あと二日も会社行くのムリ。

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さて、今日は一昨日に続きまして安政大地震のときのお話です。

金竜山浅草寺といえば今も参拝客多く、外国人のお客からも人気の観光地でございますが、安政のころも

為都下香火之霊場、金碧熒煌、荘厳無比。

都下香火の霊場たりて、金碧熒煌、荘厳比するもの無し。

江戸府内のお香の火の絶えせぬ霊場であり、金色の飾りと碧色の屋根瓦がきらきらと輝き、荘厳なこと他に比べるものも無い。

とされておりました。

この浅草寺の

第一門為雷神門。

第一門は雷神門たり。

一番最初の門は「雷神の門」と呼ばれておった。

「かみなりもん」です。

門左右安雷公風伯二鑿像。

門の左右に雷公・風伯の二鑿像を安んじたり。

この門の左と右には、雷神と風神の二体の木像を安置してあった。

ところが

震時失雷公所在。

震時、雷公の所在を失えり。

大地震の後、このうちの雷神像がどこかに行ってしまったのである。

また、浅草寺には二頭の馬が飼われておりましたが、そのうちの一頭の姿が無かった。

このため、

人皆訛言、曰、避地震也。

ひとみな訛言して、曰く「地震を避けるなり」と。

ひとびと口をそろえてみだりに言うに「雷神さまが馬に乗って地震からお逃げになったのだよ」と。

あげくには西に走るのを見た、とか、日光に報せに行ったのだ、とか、いろんな噂が広まった。

あんまりひとびとがうるさいので、お寺の方では看板を出して、告げ知らしめるに、

雷公塑像頗為毀損、故令工師修理之。如其神馬則移畜之本坊内苑耳。

雷公塑像すこぶる毀損を為し、故に工師をしてこれを修理せしむ。その神馬の如きはすなわち移してこれを本坊の内苑に畜(やしな)うのみ。

雷神の像はたいへん傷んだので、職人に命じて修理させているのである。寺の馬については、内庭に移して飼っているだけである。

と。

「なんだ、そうか」

と単純に納得したひともあったが、

「いや、そうではあるまい、もしそうだとしたら風神がなぜ無事なのか、馬だって一頭はもとの馬小屋に繋いだままではないか。ふふふ、わしにはお見通しよ」

と変な頷き方をしているひともいた、ということである。

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菊池三溪「本朝虞初新誌」巻中より。

これを読んでて、「雷神門」とは「かみなりもん」のことだぜッ!と気づいたときは感動しました。

しかし冷静になれば、誰でも気づくよね、と思いまして、そんなことで感動していた自分が情けない。わしはダメだ。ほんとうにダメなニンゲンなのだ・・・。

 

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