平成25年8月8日(木)  目次へ  前回に戻る

 

あちー。やる気ない。

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孔子の弟子の一人、子夏が同門の曾子の家の前を通った。

曾子曰く、

入食。

入食せよ。

「まあ飯でも食っていけよ」

と。

子夏答えて曰く、

不為公費乎。

公の費えと為さざるか。

「おまえさんのムダな費えになってしまわんか」

このコトバを聞きまして、

待ってました!

とばかりに、曾子、曰く、

「おいおい、子夏くん、

君子有三費、飲食不在其中。君子有三楽、鐘磬琴瑟不在其中。

君子に三費あり、飲食はその中に在らず。君子に三楽あり、鐘・磬・琴・瑟その中に在らず。

「君子には三つのムダな費えがある。しかし飲み食いするのは(ムダではないのだから)その三つには入らない。一方、君子には三つの快楽がある。しかし金属の鐘、石の板、琴、おおごとなどの音楽を聴くことは(これらはむしろ社会和合のための技術であって)その三つには入らない」

という言葉を聞かなかったのかい?」

子夏は答えた、

「わたしはそれらを知らない。よければその三つの快楽を教えてくれんかな」

うおっほん。

曾子曰く、

@  有親可畏、有君可事、有子可遺、此一楽也。

親の畏るべきあり、君の事(つか)うべきあり、子の遺すべきあり、これ一楽なり。

一つ目の快楽は、コワいおやじやおふくろがいること、お仕えすべき主君がいること、跡目をつがせる息子がいること。

A  有親可諌、有君可去、有子可怒、此二楽也。

親の諌むべきあり、君の去るべきあり、子の怒るべきある、これ二楽なり。

二つ目の快楽は、親が間違ったことをしていれば忠告してやれること、主君が間違ったことをしていればその下を去ることができること、息子が間違ったことをしていれば叱ってやれること。

B  有君可喩、有友可助、此三楽也。

君の喩(さと)すべきあり、友の助くべきある、これ三楽なり。

三つ目の快楽は、主君の間違いを正すように申し上げること、友人が困っているときに助けてやれること。

である。

・・・三つに分けていますが実は八つあるように見えます。が、キニシナイキニシナイ。

子夏はまた言った、

「よければさらに三つのムダな費えを教えてくれんかな」

うおおおっほん。

曾子曰く、

@  少而学、長而忘之。此一費也。

少くして学び、長じてこれを忘る、これ一費なり。

一つ目のムダな費えとは、若いころに学んだことを成人してから忘れてしまうこと。(若いころの学問をムダにしないように、成人してからもよく覚えておいて実地に活用しなければならん)

A  事君有功、而軽負之。此二費也。

君に事えて功を有り、これを軽負す、これ二費なり。

二つ目めのムダな費えとは、主君にお仕えしてそこそこの功績があったのに、そのことを軽々しく自慢すること。(これまでの功績をムダにしないように、功績を誇ることなく慎んでおらねばならん)

B  久交友而中絶之、此三費也。

久しく交友してこれと中絶す、これ三費なり。

三つ目のムダな費えとは、長い間つきあってきた友だちがいたのに、その交わりを絶ってしまうこと。(長い間のつきあいをムダにしないように、少々のことがあっても交友を続けていかねばならん)

である。

子夏曰く、

善哉。謹身事一言、愈於終身之誦、而事一士、愈於治万民之功。

善いかな。身を謹みて一言を事とするは、終身の誦に愈(まさ)り、一士を事とするは、万民を治むるの功に愈る。

「いやー、なるほどなあ。「自分の行動をマジメにし、一つの言葉をつねに念頭において生きていくのは、一生の間その言葉を唱え続けるより役に立つ。士としての生き方に専念するのは、一万人の人民を治めるよりも大きな功績だ」というからなあ。

ところで、そこまで知っているのなら、もう一つ教えてくれたまえ。

知人者不可以不知、何也。

人を知る者の知らざるべからざるは、何ぞや。

人を見出し、育てていかねばならない者(為政者)が知っていなければならないことは、何かね?

うおっほほほおおん。

曾子はさらに話すのでございますが、平日です。しかもこの数日、かなりつらい仕事の毎日。今日はここまでとさせていただきとうございます。

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続きが気になる方は、@「韓詩外伝」巻九・二十五章の後半を読んでいただくか、A肝冷斎に「続きを教えてくだちゃい、お願いお願いお願い〜」と泣きつくことですな。うおっほん。

 

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