平成25年7月7日(日)  目次へ  前回に戻る

 

しかし明日また月曜日。しかも東京で。どうするんですか。

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ところで、唐の高宗の咸亨年間(670〜674)のことだそうですが、趙州に祖珍倹というひとがおりましたそうな。

この人、

於空房内密閉門、置一甕水、横刀其上。

空房内に密に門を閉ざし、一甕水を置きてその上に刀を横たう。

ほかに何も無い部屋に、水を入れたおおきなカメを置き、その上に真剣を刃を上に向けて横たえておいて、

「それでは」

と言い遺すとその部屋にひとり入り、中から扉を閉めた。

ややしばらくしてから、ひとびと、その扉をあけて部屋に入ってみる。

さきほど同様にカメがあり、その上に真剣が横たえられているが、珍倹の姿はどこにも見えない。

ただ、よくよく見るに、真剣の刃に血がついているようである。

「何かあったのであろうか・・・」

と、ひとびと、甕の中を覗きこんだ・・・

見倹支解五段、水甕皆是血。

見る、倹の五段に支解され、水甕みなこれ血なるを。

カメの中は血が満ちており、その中に、珍倹の死体が、手足をばらばらにされて(首+胴体と手2本、足2本で)五つになって浮かんでいたのであった。

「うひゃー!」

ひとびと、争って部屋から逃げ出した。

みな部屋の外に出て、役所に届けに行くことを相談していると、部屋の中から

「どうされましたかな」

と珍倹が

平復如初。

平復はじめの如し。

もとどおりになって現れたのであった。

―――というかっこいいひとであった。

真冬の極寒の日に同様のことをしたところ、

水凍。

水凍る。

水が凍ってしまい、氷の中にばらばらになって固められている、ということもあった。

それでもそのあと平気で出てきたのだそうである。

彼は普段は街中で易者をしており、毎日百銭を得ると引き上げるというので、百銭に満たないうちに観てもらおうと、多くの人が朝早くから彼を探したものだという。

後、被人糺告、引向市斬之、顔色自若、了無懼。

後、人に糺告せられ、引いて市に向かいてこれを斬らんとするに、顔色自若、了として懼るる無し。

後になって誰かが官に訴え出、ついに市場で斬罪に処せられることになったが、刑場に引かれていく途中も、顔つきはいつもとかわらず、まったく恐れているふうはなかった。

というじゃ。

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すごいですねー。唐・張鷟「朝野僉載」巻三より。

わしもこれでいくことにした。みんなわしがばらばらになって死んでいると思ってその場から去った後で、おもむろにカメから出てきて身をくらまし、誰にも知られぬように福岡か四国のどこかで売卜して暮らすことにします。ではまず斬りますので、どうぞお星さま、うまくあとで引っ付きますように。

・・・みなさんはコドモじゃないんだから、もっと建設的なお願いをしてくださいね。

 

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