平成25年5月7日(火)  目次へ  前回に戻る

 

休み終わり。またじゃいあんたちとの戦いが。現実逃避せねば・・・。

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「七修類稿」に重大なことが書いてありました。こんな重大なことを今まで見落としていたなんて・・・というくらい重大な情報である。

世人見龍、或掛或鬥、或経過或取水。則必風雨交至、雷電晦冥、甚之敗屋抜木。

世人龍を見るに、あるいは掛かり、あるいは鬥(たたか)い、あるいは経過しあるいは取水す。すなわち必ず風雨交もごも至り、雷電晦冥、これを甚だしくしては屋を敗り木を抜く。

世間で龍を見た、というひとは多い。

あるひとは雲の下に尾が出ているのを見たといい、あるひとは二匹の龍が闘っているのを見たといい、あるひとは過ぎ去っていくのをみたといい、あるひとは首を延ばして水を飲んでいるのを見たという。いずれにしてもその時には暴風と驟雨がともに来たり、かみなりが鳴りいなずまが光り、空は真っ暗、時には家が壊れたり木が根っこから引き抜かれたり、という状況の中で見た、というのである。

だいたいの場合、単に雲や靄の中にちらりと見た、ぐるぐるとまわる風の勢いを感じた、ということが多く、その全体をしげしげと観察した、という例はほとんど聞かない。

ところが、詳細な観察を行った例が二度あったのである。

ここにその二例を記録しておく。

(その一)正徳年間(1506〜1521)に都指揮の官にあった李一之の記録

桃渚地方の海浜において、

泥中見一物如鰍鱔。然盤曲跳躍、奮震莫定、大不可計也、人皆視之。

泥中に一物の鰍鱔の如きを見る。しかるに盤曲跳躍し、奮震して定まるなく、大いさ計るべからず、人みなこれを視る。

泥の中に「どじょう」のようなものがいた。しかしうねったりねじれたり飛び上がったり、ぶるぶる震えたりして静かにしていることがなく、大きさがどれぐらいかわからなかった。多くの人がこれを観察しようと集まったのである。

「どじょう」のようだ、というのですから、ヒゲがあったのでしょう。大きさを計ることはできなかったが、多くの人が見に来た、ということですから、相当でかいものであったと思量される。

頃刻雲気相接、風雨騰空而去。然後知其為龍。

頃刻にして雲気あい接し、風雨に空に騰りて去る。然る後、その龍たるを知れり。

しばらくすると雲が近づいてきて、その「どじょう」と触れ合ったとみるや、風と雨を巻き起こしながら空に昇って、見えなくなってしまった。ここにおいて人々ははじめてこれが龍である、ということを知ったのである。

ただし、この観察は最近年の記録ではあるが、泥の中にいた状態なので、ヒゲがわかったぐらいで

於耳目角爪亦未明白耳。

耳目角爪におけるや、またいまだ明白ならざるのみ。

耳や目や角や爪がどうなっていたのか、については明らかに観察されたとは言い難い。

(その二)成化年間(1465〜1487)にわたくしの友人・金茂之の父君が観察した記録

広東・新会でのことである。

一日早潮方平、一龍自空墜於沙場。漁人各以所担之木箠之至死。

一日早潮の方平たるに、一龍の空より沙場に墜つ。漁人おのおの担ぐところの木を以てこれを箠(う)ちて死に至らしむ。

ある日の朝、引き潮で遠浅の砂地が現れているところへ、突然一匹の龍が墜ちてきた。

「なんだ、これは」

漁師たちが集まってきて、おのおのの担いでいた(艪櫂などの)木材でそれを叩きのめし、殺してしまったのであった。

これは死んで動かなくなってしまったのでよく観察ができた。

官民群往観之、其高可人、其長数十丈、頭足鱗角宛然如画、但腹惟多紅色。

官民群往してこれを観るに、その高さ人ばかり、その長さ数十丈、頭・足・鱗・角、宛然として画くがごとく、ただ腹のみ多く紅色なり。

役人も人民も多数のひとびとが群れ集ってこれを観察した。高さは人の身長ぐらい(1.5〜2メートルぐらい)あり、長さは100メートル近く(明代の一丈は3メートル強)もあって、頭の形、足の様子、ウロコとか角とか、すべて絵画で見るとおりであった。ただ、腹部が赤色である点(これを青で画くことの多い絵画と)だけが違っていた。

そうである。

此可謂見之明也。

これ、見ることの明らかなるものと謂うべし。

この記録はしっかり観察したものである、と言えよう。

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ということで、なんとなんとなんと―――! 龍の詳細な観察記録が遺されていたのです。明・朗瑛「七修類稿」巻四十四より。

「現実か?」

なんて言ってはダメだダメだダメだ―――! 現実なんか逃避する価値しかない、じゃいあんたちの世界なんだあ!

龍を見た人がたくさんいる、というだけでもすごい重大なことですが、漁師が殺してみんなで観察していたとは。朗瑛さんは成化二十三年(1487)の生まれ、嘉靖四十五年(1566)ごろにこの本を書いていますので、(その一)も(その二)もほぼ同時代人として記録しているのでありますから、すっごく真実なこと間違い無し、であります。ああ、龍はいたんだなあ。龍よ、おまえのその強い爪と牙で、じゃいあんたちを成敗してくれーーー!

(ちなみに「進撃の巨人」のステマ番宣をしているわけではありませんので念のため)

 

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