平成25年3月4日(月)  目次へ  前回に戻る

 

お◎おりで名高いところから何とか帰ってきました。薄めにしてくれた方、少な目にしてくれた方、そっとサンピン茶に代えてくれた方・・・そんな方々に助けられて拾った命というべし。

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しかし今日も飲み会で、頭痛い。

今日は漢字読みません。

和文読みます。天皇陛下が何首かの琉歌を詠んでおられることは、沖縄の人でも知らない人が多いみたいであり、本土の人はもっと知らないように思われるので、ここにご紹介しておきます。

ちなみに琉歌は一般に八・八・八・六で詠まれ、歌われる沖縄の短歌(長歌もあります)。さらにちなみに、沖縄ではむかしから五・七・五・七・七の「和歌」も作っているのでこれも御承知おきください。

花やおしやげゆん 人知らぬ魂 戦(いくさ)ないらぬ世を 肝に願いて

(花を捧げる 誰にも知られず亡くなったひとびとの魂に 戦の起こらない世の中を こころから願って)

九・九・九・七になっている、字余りでは? となんにでも文句をつける人がいますが、琉歌の字数は沖縄方言で数えればいいことになっていて、この御製を沖縄方言で読むと、

はなゆうしゃぎゅん ひとぅしらぬたまし いくさねらぬよゆ ちむににがてぃ

になって、きれいに八・八・八・六になります。琉歌作者から相当の指導をお受けになって作られたものと思います。

ちなみにこの琉歌が作られたのは、摩文仁で内地から来た活動家(←現在、現役の名護市議)に火炎瓶投げられたときです。

だんじょかれよしの 歌や湧き上がたん ゆうな咲きゆる島 肝に残て

(「だんじゅかりゆし」(まことに嘉例吉だ)(←有名な沖縄民謡である)の 歌をみんなで歌ってくれた 浜ぼうふうの花の咲く島が 心から離れない)

だんじゅかりゆしぬ うたやわちゃがたん ゆうなさちゅるしま ちむにぬくてぃ

弥勒世よ願て 揃りたる人たと 戦場の跡に 米松よ飢えたん

弥勒世(←平和豊饒の時代)を願って ここにそろった人たちと 戦場の跡に マツを植樹した)

みろくゆにがてぃ すりたるひとぅたとぅ いくしゃばぬあとぅに まつゆうぃたん

御歌

天皇陛下

沖縄のいくさに失せし人の名をあまねく刻み碑は並(な)み立てり

疎開児の命いだきて沈みたる船深海に見出だされけり(←平成九年、対馬丸が海底で発見されたとの報を御覧)

さたうきびの高く伸びたる穂を見つつ畑連なる島の道行く

皇后陛下

いつの日か訪(と)ひませといふ島の子らの文(ふみ)は二ライの海を越え来し

雨激しくそそぐ摩文仁の岡の辺に傷つきしものあまりに多く

波なぎしこの平らぎの礎と君らしづもる若夏(うりずん)の島

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涙出てきた。

山にすむ鳥もけものもわが君の 恵(めぐみ)にもれしものなかりけり (諸見里按司朝常 「沖縄集二篇」より)

 

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