平成25年1月10日(木)  目次へ  前回に戻る

 

昨日と同じく清の呉穀人先生のお手紙だ。晩年に近い昨日のお手紙と違って、こちらはまだ若いころのものであるらしい。いずれも郷里の友人・沈梅村あて。

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銭塘から北京へ行く。途中、大運河を通り淮南の地を過ぎる。時に中原は飢饉の真っただ中であった。

―――沈梅村くん、

昨過淮陰、見累累皆乞食人。亦誰知哀王孫而進食者。

昨、淮陰を過ぐるに、累累としてみな乞食の人を見る。また誰か王孫を哀れみて食を進むる者を知らん。

昨日、淮河の南岸を過ぎた。見渡す限り、食物を乞う者ばかりであった。誰か一人でも、(かつて洗濯ババアが韓信に対してしたように)王族の若者のように立派なひとだと認めて食べ物を恵んでくれるひとがいるだろうか。

ここのところの文章は、以下の史記・淮陰侯列伝」の有名な逸話を踏まえて読んでください。

・・・後に淮陰侯となった韓信は淮陰の人である。はじめ布衣(無職)のとき貧しく、その行動は無頼であったので、誰も役人は推薦してくれないし、商売をする能力も無くてつねに人に寄食していた。飲食する量が多いので寄食先ではたいてい嫌われた。

南昌の亭長(宿駅の長)のもとに寄食していたとき、数月を経て、亭長の女房がこれをいやがり、信が食事にやってきても満足な食べ物を出さなかったので、信は怒ってそこを飛び出したのであった。

行くあてもなく、

信釣於城下。

信、城下に釣す。

韓信は淮陰の町外れで淮河に釣り糸を垂れていた。

このあたりでは、絮を水で洗い叩いて白くする作業(「漂」)があり、これに携わる女性を漂母(「ワタ洗いのババア」)と呼んでいたが、

諸母漂、有一母見信飢、飯信竟漂数十日。信喜謂漂母、曰吾必有以重報母。

諸母漂するに、一母、信の飢うるを見て、漂を竟(お)うるまで数十日、信に飯する有り。信、喜びて漂母に謂うに、曰く「吾必ず重きを以て母に報ずる有らん」と。

ババアどもがワタ洗いをしている中に、一人、韓信がハラを減らしているのを見て、ワタ洗いの季節が終わるまでの数十日間、毎日韓信に飯を食わせてくれたババアがあった。韓信は喜び、このババアに

「ばあさん、おれは絶対にあんたにたくさんのお返しをするからな」

と言うたのであった。

すると、

母怒曰大丈夫不能自食、吾哀王孫而進食、豈望報乎。

母怒りて曰く、「大丈夫、自ら食らうあたわず、吾は王孫を哀れみて食を進むる、あに報を望まんや」と。

ババアは怒って言うた。

「いい大人が、自分でおまんまも食えないで何を言っているんだね。あたしは立派な若い者が(こんな状態なのを)かわいそうに思って食わせてやったのだ。お返しなんかが欲しいと思っているのかい」

韓信は怒られながらも無心で食うていた、ということだ。

・・・・・・このあとこれもまた有名な「韓信股潜り」の逸話が続きますが、それはまた別の時にお話いたしましょう。

ああ。

韓信が飢えて釣りしていたころも、やはりこのようにこの町は落ちぶれた町だったのであろうか。

城内から北に向かうと、両岸に大きな岩がある。岩はまるで雲間に届くかと思うほど大きいが、この岩のあたりがかつての「釣台」(釣り場所)遺跡だという。

千古有釣台。当日何曾有釣台哉。

千古に釣台あり。当日、何ぞかつて釣台あらんや。

大昔に「釣り場所」はあったのだ。しかし、その当時、ここは「釣り場所」などとは呼ばれていなかった。

「釣台」(釣りをした場所)という名の遺跡はあちこちにあるが、ここの「釣台」は上記の韓信が釣り糸を垂れていた淮陰城下の遺跡(とされる場所)のことである。

この地を「釣台」と呼ばしめているのも、韓信という一人の英雄の記憶の故なのだ。

以上。

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北京に着いた。

―――沈梅村くん。

東北之荒極矣。

東北の荒や極まれり。

北京から東北の地方の荒廃は、極限だ。

麥価至数千銭一斗、草根木皮、倶皆食尽。

麥価数千銭にて一斗に至り、草根・木皮、ともにみな食い尽くせり。

ムギ一斗の値段が銭数千枚にまで至っているという。ひとびとは、草の根も木の皮までも食べつくしてしまった。

小児女乞売与人、莫有一顧者。餓死者日凡数百人、村僻間至人相食。

小児女、売るを乞い人に与えんとするも、一顧する者もあるなし。餓死者日におよそ数百人、村僻の間、人の相食むに至る。

こどもを売ったりもらってくれという者も多いが、誰も振り返りもしない。餓死者は一日およそ数百人、辺鄙な村ではニンゲン同士が食べあっているとも聞く。

地方官束手無策、如何如何。

地方官、手を束ねて策無し、如何せん、如何せん。

地方の役人たちは無力で何もできない。ああ、どうすればいいのだ? どうすればいいのだ?

以上。

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「清儒尺牘」巻上より。やっぱりニンゲン食べてますか。たいへんな状況ですね。

 

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