平成24年12月22日(土)  目次へ  前回に戻る

 

(今日はモノクローム)

昨日の飲み会に加え、フォトンベルト(←知らないひとはウィキペディアなど参照してください)に入ったこともあるのであろうか、とにかく頭痛い。

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バファリン効いてくるまで、「大正五百家絶句」でも開く。

巻一。居安・花橋脩夫。愛知の人なり。

この人の「夏日偶作」(夏の日にたまたま作る)という絶句に前のこの書の持ち主が「○」印をつけているので、何か気に入ったところがあるのでしょう。ちょっと読んでみた。

雨過庭竹影清疎。  雨過ぎて庭竹は影清疎なり。

尽日無人訪草廬。  尽日 人の草廬を訪(と)う無し。

夢後篆紋凉似水。  夢後の篆紋 涼しきこと水に似たり。

午風吹乱読残書。  午風吹き乱す 読残の書を。

ひと雨過ぎて、庭の竹の影はさわやかであり、疎らである。

毎日、一日中だれもわしのぼろ庵を訪ねてくるひとはおらんのう。(わしは諸葛孔明ではないからのう。)

昼寝から醒めて彫りかけの篆印を手に取ると、そのぐにゃぐにゃ模様はまるで水の流れのようで涼しげじゃ。

真昼間の風が書斎に吹き来たって、読みかけで開いてあった書物を吹き乱す。

だそうです。「篆紋、涼しきこと水に似る」の拠るところがあるかと思ったが探しきれぬ。また、別に彫かけの篆印などという限定は詩中に無いので、書斎に掛けられた篆額のことでも言っているのかも知れないが、篆印でも彫っている方が隠者ぽくてかっこいいのでそう解釈してみた。

「隠者ぽいとどうしてかっこいいのか?」

と問われますと特に論証はできません。

バファリン効かないのでセデス飲んだ。

同じ人の作品をもう一篇。

碧潮漲岸白沙清、  碧潮岸に漲りて白沙清く、

泛泛軽鷗夢亦平。  泛泛(へんへん)たる軽鷗、夢もまた平なり。

佳景真如読横巻。  佳景まことに横巻を読むが如し。

風帆時挂夕陽行。  風帆時に挂(か)けて夕陽に行く。

青青とした海水は岸辺に広がり、白い砂浜は清らかである。

ふらふら、軽やかにカモメが飛ぶが、やつらは夢の中でもあんなふうに軽やかなのであろうなあ。

この佳き景色、まことに山水画の横軸を開いていくようだ。

風をはらんだ舟の帆が、傾きはじめた日の下を行き来するのもときおり目に入る。

「軽鷗、夢また平なり」というのもどこかに拠るところがあるのかも知れぬが、この詩の「手柄」であろう。明治まではこんな詩句は想像できなかったなあ、というのがわしの感想。一方、「横巻を読むが如し」というようのはちょっと平板か。

ちなみにこの絶句の題は「蒲郡」。蒲郡行ったことない人は行ってきてください。まことに風光明媚にして藤原俊成立像が出迎えてくれますよ。ちなみに銭ゲバの郷里としても有名だったはずズら。

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セデスも効かない感じだが、むしょうに眠くなってきたのでもう止めます。今日は午後から出かけないといけないのに。ちなみに電波の届かないところに行きますので一両日更新休む。

 

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