平成24年11月24日(土)  目次へ  前回に戻る

 

今日も波照間で賢くなった。

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明不可以殫色、聡不可以殫声。

明は以て色を殫(つ)くすべからず、聡は以て声を殫くすべからず。

どれだけ視力がよくても、目に見えるものをすべて見尽くしてしまうことはできない。どれだけ聴力がよくても、耳に聴こえる音のすべてを聞き尽くしてしまうことはできない。

ニンゲンの能力には限りがあるのだ。

しかし、一方で、もうこれ以上のものを見ることがなく、これ以上音を聴くことがない、という状況を生み出すこともできる。

すなわち、

殫色者昏察、殫声者阻聴。

色を殫(つ)くす者は昏察なるものにして、声を殫くす者は聴くを阻まるるものなり。

見えるものがそれ以上なくなるには、視力が悪くなればいいのである。聞こえるものがそれ以上無くなるには、聴力を邪魔するものがあればいいのである。

よって、

一芒之眩、不見泰岳。一塵之窒、不聞震霆。

一芒の眩や、泰岳も見えず。一塵の窒や、震霆も聞こえず。

一閃の光芒に目がくらむと、巨大な泰山も見えなくなる。一片のごみくずが耳を塞ぐと、落雷の音さえ聞こえなくなる。

というのである。

今日は、この世においてはある程度、鈍感であること。「眩窒観」(目のくらみ、耳の塞がりというものの観方)を学びましたぞ。

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清・周寿昌「思益堂日札」巻二より。

べんきょう、べんきょう、またべんきょう、じゃ。

 

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