平成24年11月9日(金)  目次へ  前回に戻る

 

おもて世界におけるいろんな宿題は来週に持ち越して行きます。

今日は飲み会で、いつもどおり少量のアワモリで気持ちよくなって眠くなって醒めてきて、今はどよ〜んとウツって来ました。

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頭痛い。

頭痛いながらウダウダと昨日と同じ元・林坤「誠斎襍記」を読んでいますと、このひとは実に雑多な変なことが気になってメモした人だなあ。・・・と感心いたします。元ネタがどこかにあるはずですが、どういう方針・意識を持ってこんな下らんことを集めて記録したのか。

とりあえず目についたのを抜き出してみますと、

○真臘有石塔。塔中有銅臥仏。臍中常有水流、味如中国酒、易酔人。

真臘に石塔有り。塔中に銅の臥仏有り。臍中、常に水流有りて味は中国の酒の如く、人を易く酔わしむ。

クメール国(カンボヂャあたり)に石の塔があり、その塔の中に銅製の寝仏の像がある。この像のヘソの中から、四六時中液体が流れ出てくるのだが、その液体の味はチャイナのお酒と同じであり、お酒以上に人をたやすく酔わせる。

ヘソが茶を沸かすことがあっても酒を湧かすとは・・・と嗤っていてはいけません。マジメに考えてみますと、これは酒よりも酩酊感を与える特別な液体、すなわちリグ・ヴェーダの「ソーマ」のようなインド=アーリアに伝わる多幸幻覚物質のことかも知れませんぞ。・・・なので、これはまだしも意味のあるメモかも知れません。

○有書生遇神女。見胡僧指之曰、此西王母第三女玉巵娘也。

書生の神女に遇う有り。見る、胡僧のこれを指さして曰く、「これ西王母の第三女・玉巵娘(ぎょくしじょう)なり」と。

ある書生が神仙と思われる女性に遭遇した。すると、横に異国人らしい僧がいて、女を指さして「この方は(崑崙山の主宰神たる)西王母さまの三ばんめのお嬢様で「タマノサカヅキヒメさま」じゃ」と教えてくれた。

前後がまるっきりわからないので筆者が何を考えてこんなメモを取っていたのかわかりません。おそらく西王母の娘の名前に興味があったのでしょう。

○燕太子丹質于秦。秦王遇之無礼、乃求帰。秦王為機置之橋、欲以陥丹。丹過之、蛟龍捧挙而機不発。

燕の太子・丹、秦に質たり。秦王これを遇するに無礼なればすなわち帰らんことを求む。秦王、機を為(つく)りてこれを橋に置き、以て丹を陥らしめんとす。丹これを過ぐるに、蛟龍捧挙して機発せず。

戦国末期の燕国の太子・丹は秦国に人質に出されていたが、秦王がその勢威を恃んで客人として遇せず、無礼な仕打ちを受けたというので、燕の国に帰ってしまいたいと言った。秦王は表面上は黙認したが生きて帰らせまいとして、とある橋の上に「しかけ」を仕掛けた。丹が橋を通って、どれかの橋板を踏んだときに、しかけによって箭が発せられて丹を害する仕組みである。ところが、太子・丹が橋を通ったとき、水中から水龍が現れて、丹を頭上に乗せたので(丹は橋をわたる途中に橋板を踏むこと無く)仕掛けは発動しなかった。

燕の太子・丹と秦王との抗争は「史記」でも有名ですが、何でわざわざこんな仕掛けを作って害しようとしなければならなかったのか。よくわかりません。そして、筆者は何のためにこのことを記録して遺したのか、もっとわけがわかりません。

○陽県地多女鳥。新陽男子於水次得之、遂与共居、生二女。悉衣羽而去。

陽県の地に女鳥多し。新陽の男子、水次においてこれを得、ついにともに居りて二女を生ず。ことごとく羽を衣(き)て去る。

陽県のあたりには「おんな鳥」が多い。新陽府のおとこ、水のほとりでこれを捕らえ、一緒に生活しているうちに二人の娘ができた。後にすべて羽を着けて、どこかに行ってしまった。

一瞬「羽衣伝説」を思い出します(根っこは同じ伝説かも知れません)。しかし、ここでつかまるのは、「天女」ではなく「おんな鳥」です。どういうものなのか。妻にしたくなるものなのか。鳥は排泄・生殖がすべて同じ孔で行われます。このような鳥の変化(へんげ)である「単孔種のオンナ」への異常な性的興味について、澁澤龍彦先生「高岳親王航海記」中に描いておられるが、この人の興味はそんなところにあったとも思えません。何かわれわれには想像もつかないようなことに興味を持って記録したのでしょう。

ちなみに「陽」も「新陽」もあちこちにあった地名なので、そのうちのどこのことを言っているのか不詳。漢代の新陽県なら、ゲンダイの安徽・徐南のあたりという。

○唐末有喬子曠者、能詩、喜用僻事。時人謂之狐穴詩人。

唐末に喬子曠なるものあり、詩をよくし、僻事を用いるを喜ぶ。時人これを謂いて「狐穴詩人」とす。

唐の末ごろに喬子曠というひとがあって、詩をよく作った。この人、詩を作るに当たって、ほかの人が知りもしないような変な典故を踏まて作ったので、そのころのひとは彼のことを「キツネ穴の詩人」と呼んだ。

キツネの巣穴は人に見つからないように巧妙に隠されているので、典故がわからないように隠されているのを「キツネの巣穴」に喩えたわけです。そんな詩を好んで作った詩人も何を考えていたのかわかりませんが、筆者も何を考えてメモしたのかわかりません。

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とりあえずキリが無いのでこの程度に。すべて「誠斎襍記」巻上より。

こんなの読んでいるうちに頭痛治まってきた。明日から週末。休みの日は忙しいんですわ。わははは、とちょっと生きる力湧いてきた。

 

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