平成24年11月6日(火)  目次へ  前回に戻る

 

みなさん、こんにちは。・・・もしかしたら、という疑念が出てきたので、ここにも本心は書かないようにして、明るい常識人として振る舞うことに・・・。ぎ。ぎぎぎ。(←心が歪み軋む音)

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(昨日の続き)

ウツの魯侯は「う〜ん」と考え込んで、それから言うたのであった。

彼其道遠而険、又有江山、我無舟車、奈何。

彼それ道遠くして険、また江山有り、我に舟車無きをいかんせん。

「そこまでの旅路は遠く、かつ険しいのでしょう? それに大きな川や高い山々があるでしょう? わたしにはそんなところを通れるような舟も車もありませんよ・・・」

ウツです。

「しっかりしろ」「みんな苦しくてもやっているんだ」「君ならできる」「責任ある立場だぞ」

などと言ってみたくなる向きもあるかも知れませんが、市南先生は言うた、

君無形倨、無留居、以為君車。

君、倨を形とする無く、居るに留まること無き、以て君が車と為さん。

「わが君、あなたがおごりたかぶった態度をとらないこと、そして、今住むところに留まらずに彷徨い出かけること、この二つのことがあなたの「車」となって、あなたの旅路を助けましょう」

「う〜ん」

魯侯はまた考え込んで、それから言うた、

彼其道幽遠而無人、吾誰与為隣。吾無糧、我無食、安得而至焉。

かのその道は幽遠にして人無し、吾は誰とともにか隣せん。吾に糧無く、我に食無し、いずくんぞ至るを得んや。

「そこまでの旅路は遠くさびしいもので、しかも無人の地を行くことになるのでしょう? わたしは誰と語り合いながら行けばいいのか。わたしには食糧の準備も無い。どうやってたどりつくことができようか・・・」

市南先生は曰く、

「わが君、あなたはご自分のいま使っている予算を減らし、ご自分の保有欲を少なくなさるがよい。それが十分な糧食となりましょう。あなたが川を渉り、海に浮かべば、そのかなたにはあなたの行く手を妨げる岸壁はございません。

愈往而不知其所窮。送君者皆自崖而反、君自此遠矣。

いよいよ往けばその窮むるところを知らざるなり。君を送る者はみな崖より反(かえ)るも、君は此れより遠ざからんとすなり。

あなたは行けば行くほどどこまででも行けるのです。あなたをお見送りになるひとたちは「岸壁がある」と思ってそこから引き返してしまうでしょう。(しかし、あなたにとっては岸壁などはなく)あなたはそこからまだずっと先まで行こうとされることでしょう。

いにしえより申します。

有人者累、見有于人者憂。

人を有する者は累せられ、人に有せらるる者は憂う。

他人を治める者はめんどうを見させられ、他人に治められる者は心配ごとを抱えるものだ。

と。

どうぞ、わが君におかれては、そのめんどうをお捨てになり、その心配ごとを取り去りなさるがよい。そして、

独与道游于大莫之国。

ひとり、道とともに「大莫の国」に游ばれよ。

「道」(タオ)だけをたよりにして、「大いなる夕暮の国」、なにものもいないその地に彷徨い行かれるがよい」

「む。・・・いや、しかし・・・・ぶつ・・・ぶつぶつぶつ・・・」

魯侯はさらに考えこんでしまわれたようである。

そこで、市南先生はにこやかに言った、

「わが君よ、たとえ話で申しましょう。こんなお話を御存じでしょうか。

方舟而済于河、有虚船来触舟、雖有惼心之人不怒。

方舟にして河を済(わた)らんとするに、虚船の来りて舟に触るる有れば、惼心を有するの人といえども怒らず。

小さな舟を操って川を渡ろうとしているときに、からっぽの舟がふらふらと流れて来て舟にぶつかった。このときは、ひねまがった心の人であっても怒りようがないであろう。

しかし、

有一人在其上、則呼張歙之。一呼而不聞、再呼而不聞、于是三呼邪、則必以悪声随之。

一人のその上に在る有れば、すなわち呼びてこれを張歙す。一呼して聞かず、再呼して聞かず、ここにおいて三呼するや、すなわち必ず悪声を以てこれに随わん。

ぶつかってきた舟に人が乗っているなら、その人は声をかけて舟をおしやろうとし、回避しようとする。一回声をかけても聞こえないらしければ二度目に声をかける。二度声をかけても聞こえないらしければ三度目の声をかける。三度目に声をかけるときには、必ずそのあとに悪態が続くことであろう。

これはどういうことでございましょうか。

向也不怒而今也怒、向也虚而今也実。

さきには怒らずして今や怒るは、さきには虚にして今や実なればなり。

最初の舟には怒らないのに後の舟には怒るのは、最初の舟はからっぽなのに後の舟は中身があるからです。

すなわち、

人能虚己以游世、其孰能害之。

ひと、よく己れを虚にして以て世に游べば、それだれかよくこれを害せんや。

ひとが自分をからっぽにしてこの世の中を気ままに生きていたら、誰がそのひとに害悪を与えようとしましょうか(、いや誰もしない)。」

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以上。「荘子」山木篇より。(下線部は貪欲に覚えてくださいよー)

魯侯は市南先生の言葉を聞いてどう行動したのでしょうか。魯侯が歴史上の実在人物ならその後の行動を逐えるのですが、これは歴史的事実のお話ではなくて「つくりばなし」(寓言)ですから、確認のしようがないのでございます。

ウツの立場から申し上げますと、市南先生がおのれを虚にして「大莫の国」「無人の野」にさまよい行け、と言っているのはたいへん素晴らしいのですが、どうも最後の方まで来ると、

・物理的に現実に地位を棄てて旅に出よ。

と言っているのではなくて、

・心理的に現実を離れよ。

と言っているだけに過ぎないように聞こえてまいりまして、がっかりします。「やっぱりそうなのだ・・・わたしはダメなのだ・・・」になって来た。つらいのです・・・。ただ、冒頭申し上げたように(やつらが)ここも嗅ぎつけているかも知れないので本心はかけないので、ここまでとさせていただきます。

 

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