平成24年10月22日(月)  目次へ  前回に戻る

 

今日は暑かった。東京の9月半ばぐらいの感じではないでしょうか。風はいつも海からキモチよいのが吹いており、何キロか先の那覇港を出る船の汽笛などを遠くまで運んでくるのでございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明の時代のことでございます。

浙江・会稽郡、海塩の禅悦寺の鐘は

声聞数十里。

声、数十里に聞こゆ。

二十キロ近く遠くまでもその音が聞えた。

ので、「神鐘」と呼ばれていた。(一シナ里=約500mで計算)

天順年間(1457〜1464)のこと、この鐘が、叩いても音を出さなくなった。

しばらくすると、海外に商用に出かけた人が帰ってきて、お寺に駆け込み、僧侶らに

「遭難しそうになったとき、この寺の神鐘の音が聞こえ、

覩其影在波間。

その影の波間にあるを覩る。

鐘のすがたが波の間にちらちらと見えたんじゃ」

と言って厚く礼物を寄附したのであった。

僧侶らこの言を聞いて、

「なるほどそういうことでござったか」

とにこやかにほほ笑みあった。そして、

浮屠用法摂之乃復声。

浮屠、法を用いてこれを摂れば、すなわちまた声あり。

僧侶らは海中に沈んだ鐘の「実体」を取り戻す秘術を行った。すると、また音が出るようになったのである。

この鐘、後に色褪せ形も歪んだため、新たなものに取り換えようと謀る者があって、ひとびと集まってこれを鐘楼から取り外そうとしたとき、

忽自声若扣百有八。

たちまち自ら声ありて、百有八を扣(たた)くがごとし。

突然、勝手に鳴りはじめ、誰かが百八回叩いたかのように鳴り続けた。

ひとびと畏れて雲散し、取り換えの議は止んだ。そして、

於是鐘之神益顕。

ここにおいて鐘の神なることますます顕かなり。

これによって、鐘の神聖であることがさらに明確になったのである。

この鐘、いつまであったものか、明の終わりごろにはもう失われていた。

・・・・・・・・・・・・・・・

「元明事類鈔」巻二十七より。もと明代の筆記類に出るということである。

鐘の音は迷妄の闇を払うものなのでございます。

夢の世にかさねて夢を見せじとて尾上の鐘の鳴りわたるらむ  宗良親王

夢まぼろしである現世において、(眠り込んで)さらに夢まぼろしを見ることのないように、山寺の鐘が鳴りわたって、わしらの迷い(の眠り)を覚ましてくれることよのう。

宗良親王はいろいろとすごい方ですので、知らないひとはウィキで調べてみよう。

 

表紙へ  次へ