平成24年10月17日(水)  目次へ  前回に戻る

 

台風の風音うずまき、コワい。ずぶ濡れで帰ってきた。しかし明日の朝には晴れるのだそうです。会社は休めないらしい。(>_<) 風遁の秘術を用いて台風に乗じて消え去ろうか・・・。

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明の時代でちゅ

銭塘の徐国寧というひとはもと生員として地方の学校で学んでいたひとであったが、後に転じて商人となった。それでも詩と書と画には心残りがあったと見えて独り身のままずいぶんといろんな手本を見て独学を続けたが、その世界で名を知られるというほどのこともなかったのであった。

彼が、ある日、友人のところに、絶句一篇を持たせて使っている童子を来させた。

「けけけ、御主人さまからこれをお届けしろと言われたのでちゅ

「あ、そう」

友人がその詩を披き見るに、

酔余拂袖青山去。  酔余に袖を拂いて青山に去る。

海鶴孤雲事事閑。  海鶴、孤雲 事事閑たり。

聞道神仙能久寿。  聞くならく神仙はよく久しく寿(いのちなが)しと。

不知幾許在人間。  知らず、いくばくか人間(じんかん)にあるを。

 酔って覚めたので、袖を払って旅支度、藍色に見えるぐらい遠いところの山に帰るよ。

 海の上を行く鶴、あるいは空にある一つきりの雲のように、なにごとにも心をとどめない。

 どなたも、神仙たちはずいぶん長生きすると聞いているだろうが、

 そのうちどれほどの間、人間世界にいるものなのかは御存じあるまいぞ

読み終えて友人は驚き言う

「おい、これはこの世からの訣れの詩ではないか!」

と、使いの童子を振り向いてみた・・・が、その姿はみあたらない。

友人、いそぎ徐国寧の家に駆けつけてみたが、さっきまで人がいたようで、しかし妙に端然と物が片付いたその家に、すでに徐国寧の姿も、もちろん童子の姿も無かった。

爾来、その行方は杳然として知られない。

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明・朗瑛「七修類稿」巻四十四より。

ふつうの世間さまにこそ、こんなひとがそっと隠れているのである。わしもそうなのかも知れないよ。

 

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