平成24年9月22日(土)  目次へ  前回に戻る

 

脳炎で頭痛い。しごとなんかしてられないよー。ウイルス性らしいのでいよいよ入院かも。

お風呂入るな、というので入らないでおこうかな。もともとウツのときはお風呂入るのもつらいわけですが、以下のようなひとが存在したということもありますし・・・。

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南朝梁の陰子春、字・幼文は、先祖代々、晋以来の歴朝に仕えてきた貴族のひとでございます。

各地の知事・将軍を務め、

子春雖無他才行、臨人以廉潔。

子春は他の才行無きも、人に臨むには廉潔を以てせり。

陰子春は他に才能も功績も無いのだが、人との付き合いに(おもねったりヒイキしたりせず)正直で潔癖であった。

と評されたひとであります。

しかし、人との関係では潔癖だったのですが、

身服垢汚、脚数年一洗。言、毎洗則失財敗事。

身服垢汚し、脚は数年に一洗す。言うに、洗うごとにすなわち財を失い事を敗るなり。

からだや衣服は垢で汚れ、足に至っては数年に一回しか洗わなかった。そして、「(数年一回)洗うたびに、財産を失ったり事業に失敗したりしているのだ」と。

数年に一回ぐらい財産を失ったり事業に失敗したりしていたのでしょう。

婦甚悪之、曾勧令一洗。

婦、甚だこれを悪み、かつて勧めて一洗せしむ。

妻が、たいへんそのきたないのを嫌がって、一度、強く言って足を洗わせたことがあった。

すると、

不久、在梁州致梁州敗。

久しからずして、梁州に在りて梁州の敗を致す。

しばらくして、梁州の刺史をしているときに、その梁州で北朝の軍に敗れることがあった。

子春は

謂洗脚所致、大恨婦。遂終身不洗。

「洗脚の致すところなり」と謂いて大いに婦を恨む。ついに終身洗わず。

「そら見ろ、脚を洗ったりするからこんなことになるのだ!」と言って大いにその妻を怨んだ。そして、それ以降、一生涯脚を洗うことはなかった。

陰子春は後、侯景の乱の際に兵を率いてよく戦ったが、ついに江陵の陣中に没した。汚かったがちゃんと子どももいて、嫡子の陰子堅はたいへんな読書家で歴史に詳しく、また五言詩を善くした文人将軍として、南朝末期に活躍しているのである。

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以上、「南史」巻64「江子一等列伝」より。ただし、これを一部だけ書き換えた明・馮夢龍の「古今譚概」巻八の「不洗脚」というお話の方が読みやすいので、文章はそちらを引用しました。足痒くてたいへんだったのではないかと心配しますが、財産や事業に失敗するよりはいいか。

ちなみに10月1日東シナ海戦争開戦説出てきたよー。現在台風17号がフィリピン東方海上に発生しているので、これが南西諸島を過ぎたころ、になるらしいでゲソ。脳炎だなどと言っていられないではなイカ。

 

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