平成24年9月15日(土)  目次へ  前回に戻る

 

台風来てるよー。琉球童子だいじょうぶかな?気になるけど、遠く離れているのでどうしているかわからない。

さて、遠くのことを見ようとしたら、「円光術」が一番でちゅねー。え? 「円光術」を知らない? うひゃ、そんなことも知らずにオトナのふりして生きてんの?

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南朝宋の劉義慶が怪を志した「幽明録」を閲するに、以下のようなことが書いてあった。

五胡十六国の時代に趙の国を建てた石勒(せきろく)が、西域よりやってきた僧・仏図澄に訊ねた。

劉曜可擒。兆可見否。

劉曜擒すべきか。兆、見るべきや否や。

―――(宿敵の)劉曜を擒(とりこ)にすることができるか。 君は将来の予兆を見ることができるかね?

仏図兆は童子に斎戒させると、

取麻油掌中研之。

麻油を取りて掌中にこれを研がしむ。

麻を絞った植物性の油を手のひらに載せて、それを別の手でこすらせた。

そして、仏図澄はその童子の前で栴檀のお香を焚き、呪文を唱える。

しばらくすると、澄は「むん」と両手を挙げ、自らの手のひらを童子の方に向け、念を送った。

すると不思議や。

童子掌内晃然有異。

童子の掌内、晃然として異あり。

童子のてのひらが輝きはじめたのである。

「うひゃあ、光ってまいりまちたよ」

「ふふふ。さて、童子よ、きみのてのひらの中に見えるモノを言ってごらんなさい・・・」

「あい」

童子曰く、

惟見一軍人。長大白皙。有異望。以朱糸縛其肘。

ただ一軍人を見るのみ。長大にして白皙、異望あり。朱糸を以てその肘を縛れり。

「えーとでちゅね、高級軍人がひとり、見えますね。大きな人でちゅ。そして色白で、変な顔かたちをしています(おそらく西域人でしょう)。おりょりょ、肘のところに赤い糸を結わえ付けていまちゅよ」

そこまで聞いたところで、傍にいた石勒が言うた。

―――それは劉曜じゃな。確かにわしが一度やつを見たときは肘に赤糸を巻いていた。彼の怒りに触れた者は、その糸を以て首を括られるが常であった。

「されば」

と仏図澄は言うた、

「劉曜は必ず、近きうちに陛下の手のうちに入りましょう。ふ、ふふふ・・・」

その言葉どおり、

其年果生擒曜。

その年、果たして、曜を生擒す。

その年のうちに、劉曜は石勒に生きたまま捕らえられたのであった。

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と、まあ、こういう術があったらしいんです。

この術は別に「円光術という」とか書いてあるわけではないのですが、今年になりまして、うちの隣の家で物が無くなった、というので、行方を探すために術士を一人呼んだのです。その術士が自ら言うに、

善円光法。

円光の法を善くす。

「わしは円光術を使いまするのじゃ」

と。

(今年は何年?ですって? 光緒五年(1879)ではございませんか。)

さて、その術士、まずその依頼主に、

「一つだけお話しておかねばならぬことがござります」

と説明した。

「もし、物の在りかが他人の処であったとしても・・・つまり、物が盗まれたのであった場合、でございますが、あなたさまが知らぬ人、あるいはあなたさまとの御縁がお薄い方、が盗んだのであれば、官に訴えるなり取り返しに行かれるなりなさってください。わたくしの術は確かでございますから。しかし、もし、物を盗んだのが、あなたさまがようくお知りの方、あなたさまと御縁の深い方であられた場合、その方とお争いになるかどうかは、どうぞようく御自身でお考えくだされ。わたくしの術は事実を写すことができるだけでございます。あなたさまにとってどうされるのが一番いいことなのか、未来の吉凶を指し示すものではござらぬによって、そのことだけようく御認識おき下され」

依頼主が頷くと、まずは術士は三日間、依頼主に斎戒するように命じたのであった。

三日後の夜、術士はやってまいりました。

そして、依頼主と自らと、弟子の童子の三人だけで一室に入り、部屋中にお香を焚きしめると、

取盤水而呪。

盤水を取りて呪う。

お盆に水を入れ、これに向かって何やら呪文を唱えた。

呪文を唱え終わると、「や、や、」と声を上げながら手印を切り、水を一掬い、童子の掌に載せた。

童子はこれを手のひらの上でこすり合わせる。すると、

燦然有光。

燦然として光あり。

手のひらの上に、輝く光が現れたのだった。

「よく見るのじゃ」

令童子視其掌内。

童子をしてその掌の内を視せしむ。

童子に、そのてのひらの中を見させた。

「あい・・・、えーと」

童子は、そこに見えるものをコトバにしはじめる。

見山川屋宇並竊物之人衣服容貌。

山川屋宇並びに竊物のひとの衣服容貌を見る。

遠景としての山、川、建物、とだんだん近づいて行って、ついに物を盗んだひとの衣服やかおかたちが見えるようだ。

それを聞いていた依頼主は、

「え? なんと・・・、まさか、あ、あいつが・・・」

と驚いたように目を見開いた。

―――術は一刻ほどで終わった。

術が終わって以降、依頼主は、物が無くなったことについては何も語らなくなった。

もちろん、術士と童子も何も語りはしなかった。

・・・・・この術、江南のひとたちは「照水盆」とも呼んでいて、かなり有名な術である。ただ

或云其術亦不甚験。但心疑某人竊物則掌内見某人。不必真為某竊也。

或るひと云う、「その術、また甚だしくは験ぜず。ただ、心に某人の物を竊むと疑えば、掌の内に某人を見る。必ずしも真に某の竊み為らざるなり」と。

あるひとが言うには、

「あの術は大して当たるものではないのです。依頼主が「あの人が盗んだのではないか・・・」と思っていると、手のひらの中にその人の姿を見るものである。ところが、必ずしもその人が盗んでいるわけではないことが多いのですよ」

とのこと。

いずれにせよ、この術、紀元三世紀の晋の時代から、少しづつ形を変えながら続いてきた伝統あるものなのである。

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と、周寿昌「思益堂日札」巻九に書いてありました。

いずれにしろ呪文がわからないので現状では術使えません。メールによれば台風すごい状況みたいです。

 

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