平成24年9月11日(火)  目次へ  前回に戻る

 

もう今後は何もしませんよ。無為です。

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勉強もしませんよ。でも勉強しないとオロカ者になってちまうかも・・・ちんぱいでちゅ・・・。

すると、すごい年をとっていそうな童子が出てきまして、

絶学無憂。

学を絶つも憂い無し。

―――勉強しなくても心配いりませんのでちゅよー。

と言いました。(ちなみに年をとっていても童子型をとっているので、子どもの姿なの。)

「おお、老いたる童子よ、ほんとでちゅか」

「そうでちゅよ」

と、老童子は自信いっぱいに答えまちた。

―――よいでちゅかな。

唯之与阿、相去幾何。善之与悪、相去何若。

唯(い)と阿(あ)と、相去ることいくばくぞや。善と悪と、相去ることいかんぞ。

「はい」という答えと「うるせえ」という答えと、どれほどの違いがあるのでちょうかな。善なる考え・行動と悪なる考え・行動といっても、その間の差はどれぐらいあるというのかちら。

※「阿」はここでは「呵」の仮借で、「責怒のことばなり」と読むようです。(「否」に同じ、という解釈もあります。)

―――というように、こちら側ではすごく大きな違いがある、と思ってする行為であっても、そのもたらす結果は結局のところ何の違いも無い、ということをよく認識しなければなりませんでちゅ。われわれ個々の知力による判断なんてあんまり意味がないの。

そのかわり、

人之所畏、不可不畏。忙其未央。

人の畏るるところは畏れざるべからず。忙(ぼう)としてそれいまだ央(ちか)からざるなり。

―――ひとびとが恐懼する対象は、やはり恐懼しておくのがよろしいでちょう。茫漠として、なかなかほんとうのところはわかりかねますから。

「なるほど。老童子ちゃんは全体に溶け込んでちまおう、という考え方なのでちゅね」

「う〜ん、それがそううまくはいかないのでちゅよ」

「ほう。と言いまちゅと?」

衆人熙熙、若亨太牢、若春登䑓。我魄未兆、若嬰児未孩、乗乗無所帰。

衆人熙熙(きき)として太牢を亨(に)るがごとく、春に台に登るがごとし。我が魄はいまだ兆さず、嬰児のいまだ孩(がい)せざるがごとく、乗乗として帰するところ無し。

―――世間のみなさんは、てかてかと楽しそうに祭祀のための牛肉を煮込み、これから春に高台に昇って山野の精霊たちを興起するための儀礼をおこなうとしているような、みんな元気なときであっても、おいらはその中でひとり、まだ生命力が強まって来ず、赤ん坊がまだ笑わないときのように、しよんぼりとしてうろついている状態になるのでちゅ。

※「孩」(がい)は生まれたばかりの赤ん坊をいうことばですが、「赤ん坊が笑うこと」を意味する「咳」(がい)と通じるという解釈があるので、そのように訳してみました。「乗乗」はそのままでは何がいいたいのかよくわかりませんので、これは「垂垂」の誤りであるという解釈を用いてみました。

「へー。老童子ちゃん、疎外感を感じておられるのね」

「ちょうなんでちゅ。

衆人皆有余、我独若遺。我愚人之心、純純。

衆人みな余り有るも、我ひとり遺(とぼ)しきがごとし。我は愚人の心にして純純たり。

―――みなさんはみんな余剰がおありのようでちゅのに、おいらだけは欠乏ちているように感じる。おいらは愚か者で、ぼんやりしているのでちゅ。

※「遺」は「忘らる」と訓じてみても意味を為すようには思いますが、「匱」(キ。欠乏すること)が誤ったものだという説があるので、これを採りました。また、「愚人之心」の下には闕文があるという説もあり、そんな気もするのですが、ここは闕文が無いものとして読んでみました。「純」(じゅん)は「沌」(とん)の仮借で、「沌」は「混沌」の意、ぼんやりとしてきちんと理解していないありさま。

俗人昭昭、我独若昏。俗人察察、我独悶悶。淡若海、漂无所止。

俗人は昭昭たるも我はひとり昏たるがごとし。俗人は察察たるも我はひとり悶悶たり。淡として海のごとく、漂として止まるところなし。

―――みなちゃまは明らかによくわかっておられるみたいでちゅが、おいらだけはぼんくらなの。みなちゃまははっきりと言い、行動することができるのに、おいらは何も言出せないの。ゆらゆらとして海のように自分を表現できず、かといって、水泡のようにふわふわとしてどこかにしっかりと止まることもできません。

※「淡」は「澹」の仮借で「水が揺らぐさま」。「海」は「釈名」の書に「色黒くして晦(くら)し」とあるように、暗い・混濁・昏迷の象徴とされる。

衆人皆有已、我独頑似鄙。我欲異於人、而貴食母。

衆人みな已あり、我ひとり頑なにして鄙に似たり。我は人に異なり、而して食母するを貴ばんと欲す。

―――みなちゃまは何かの役に立つのでちゅが、おいらだけはあたまが古くて社会に溶け込もうとしません。おいらは他の人と違ってしまっているのだけど、それでいいや。そして、これからも「食母する」していくつもりでちゅ。・・・で、でちゅ・・・。

こう言って、あまりの世界苦のせいであろうか老童子ちゃんは

「う、う、う・・・・・・びえ〜ん」

と泣きだしてちまいまちた。

※「已」(イ)は「㠯」(イ)の仮借で、「㠯」は「用」と通じるとの説を採った。また、「頑」は「頭髪を剃り、元(禿)にした奴隷」、「鄙」は都市国家の「都」に対する農村地帯をいい、いずれも都市国家文明の中での文化的な周縁部を指している。

「食母」については、解釈が一定しないところですが、蘇轍(蘇東坡の弟のひと)の解釈が優れる。すなわち

譬如嬰児、無所雑食、食於母而已。

譬うるに嬰児の如く、雑食するところ無く、母に食らうのみなり。

赤ん坊がほかのところに食べ物を求めることを知らず、ただただその母に食べものを求めるように、純粋専一に求めることをいうのじゃ。

近人(現代人)の朱謙之はさらに、「荘子」(徳充符編)の中の

豚子食於其死母。

豚子のその死母に食らう。

ブタの子どもが母ブタが死んだのにも気づかず、母ブタから食べ物をもらおうとしている。

という言葉に、晋の郭璞が注した

食乳也。

乳を食らうなり。

乳を吸うたのである。

という解をもとに、「食母」とは母の乳を吸う意である、赤ん坊が母親の乳を吸うように無心専一に求めることをいうのではないか、と解している。この解、おそらくは善なる哉。

 

泣きだしてしまった老童子ちゃんを慰めようとして、

「かわいちょうな、老童子ちゃん、泣いてはだめでちゅよ、泣いてはだめでちゅよ・・・」

と撫で撫でちているうちに、おいらも涙が出てきて、いっしょに泣きまちた。ほんとにツラいの。おいらたち童子族がこの世で生きていくのは。みゆきねえたん(←中島みゆきさんのこと。ただし1980年代後半にカネゴンや権力妖怪たちに心身を乗っ取られる以前の)も昔は「泣きたいときに一人はいけない、あたしの側においで」と言ってくれたのになあ。今は上から目線だからなあ・・・。

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「老子」第二十章でちた。「老子」読んでると、「老子」という人格が世界の根源存在から切り離された孤独と苦悩、その苦悩を理解せず文明を謳歌する人民たちからの孤立、を読み取ってしまい、おいらは時に悲しくなってくる。しかしほんとは「老子」は一人の人ではなかろうし、現代的にはどろどろした世間を歩むための処世術の書として読むのがよろしいのでしょうけどね。

「老子」はどのテキストで読むかによっていろいろうるさいので困るのでちゅ。おいらは共和国の朱謙之(北京大学)が1954年に撰した「老子校釋」に沿って、唐の景龍二年の石刻本を底本とした河上公注本系統のテキストで読んでおります。これは古来よりの注釈がその上にたくさん重なっていてオモシロいのです。

しかしこのテキストは、近時に漢代の墓から出てきたという「帛書・老子」が参照されていないはずなので、現代のピカピカのみなさまから見ると「おくれてる」と思われることなのでございましょうなあ。

 

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