平成24年9月1日(土)  目次へ  前回に戻る

 

本日、宜野湾の古本屋から仕入れてきたやつ。早速利用。道に聴きて途上に説くなり。

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むかしのことにございます。

中城郡・添石の村に人あり。その名は伝わらないが、増島袋の祖先であるという。

このひと、

一日出門而遊、忽得一石。取而視之、奇怪不常。

一日門を出でて遊ぶに、忽ち一石を得たり。取りてこれを視るに、奇怪常ならず。

ある日、門を出てふらふらしておったところ、とつぜん一つの石を拾った。手にしてじっくり見てみるが、どうにも変な石である。

どのように変なのか。については、何の記述もありません。とにかく変だったのでしょう。びじゅるさまだったのかも。

そこでこの人、これを洞(ガマ)の中に置いて、ひそかに朝夕に祀ることにした。

そして、

至今其孫子、世為祭祀。

今に至るもその孫子、世々に祭祀を為す。

現代に至るまで、その子孫の増島袋氏は、代々これを祀ってきているのである。

ただ、時を隔てることあまりに遠いので、今となってはなぜその石を祭祀することになったのか、

不可得而考也。

得て考うべからざるなり。

もう考察することができなくなっている。

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どういうこっちゃ。光ったか音立てて震えていたか、いずれにしろ○宙人が落として行ったやつでしょう。「琉球国旧記」巻六より。次回はもっとおもしろいお話を紹介することにしますね。「びじゅるさま」というのは「びんずるさま」のことだが、僧形の像を信仰する本土の賓頭流信仰と違って、こちらのは「石」を拝む。

ちなみにこの本は昭和16年、伊波普猷ら編・東京名取書店刊。昭和19年に秋田市で贖われたものらしい(奥附けにメモがある)。当時四円五十銭らしいが、○○00円で買ってきました。わざわざ秋田市でこの本を買ったひとはそれほど読み込んではいないようだが、どういうつもりで買ってどういう扱いをしていたどういうひとだったのでしょうか・・・。

行く末に我が袖の香や残るらむ 手づから植ゑしたちばなの花   藤原良経

 

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