平成24年8月16日(木)  目次へ  前回に戻る          

 

肝冷斎(二世)です。病気療養中でちゅ。

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渭溪の地に本拠を有する張氏一族は

多懼内。

多く内を懼る。

おくさんがコワい家庭が多かった。

これは偶然とかではなく、おそらく交叉婚(二つの氏族が、それぞれ母方の一族の女をヨメにもらう風習)のせいで、相手方の一族の女性教育に特徴があったため、ではないか、などと科学的には思われますが、それはさておき。

たとえばその一族の中の張一山と号した読書人、

一日忤其婦。

一日その婦に忤(さか)らう。

ある日、女房に逆らった。

どういう理由があったか。おそらくは本当にハラにすえかねたのでしょうなあ。

女房は怒った。

その怒りことあまりに激しかったので、張一山は

匿房後樹上。

房後の樹上に匿(かく)る。

私邸の裏の木に登って身をひそめた。

女房はすごい顏であちこち見て回って、ついに樹上の一山を探し出すと、

持竹竿駆下、用鉄索懸之柱。

竹竿を持して駆下し、鉄索を用いてこれを柱に懸く。

竹竿を持ち出して枝にしがみついていた一山を引きずりおろし、怒りのままに鉄の鎖で縛りつけ、柱から吊り下げたのだ。

やがてその様子を一山の弟の午峰先生(後にえらい役人になったという)が見つけ、

「な、なんということを・・・」

と絶句したが、しかし鎖を外して兄を助け下ろすということはできない。

「あ、兄上、し、しばらくお待ちくだされ、

我将見嫂請釈。

われ、まさに嫂に見(まみ)えて釈(ゆる)されんことを請わん。

わ、わたくしがお義姉さまを探し出して、兄上を許してくださるようにお願いしてまいりますからな」

と兄に告げるのが精いっぱいであった。

すると、一山は吊るされたままかぶりを振り、

且慢且慢、待他性過自放。

しばらく慢にせよ、しばらく慢にせよ、他(かれ)の性の過ぎて自放するを待たん。

「やめてくれ、やめてくれ。あいつの怒りが収まって、自分で解放しに来るのを待った方がいい」

と。

二日後、また女房が何かで激怒し、金切り声をあげて一山を追い回した。

一山は、

被責、潜逃隣寺。

責められて隣寺に潜み逃ぐ。

終われて隣の寺に逃げ込んだ。

婦竟追至寺。

婦、ついに追いて寺に至る。

女房は、とうとうお寺まで追いかけてきた。

そして、寺の簀子に横になっているひとかげを見つけると、勝ち誇ったように叫び声をあげながら、

以大杖撃。

大杖を以て撃つ。

手にしてきた長い棍棒を振り下ろして、そのひとかげをぶん殴った。

ぐしゃ。

ところが、これがうとうとと昼寝をしていた寺の住僧であったのだ。

僧は、

張目曰、小僧無罪。

張目して曰く、「小僧無罪なり」と。

ぶん殴られると、目を瞠って、「せ、拙僧には何の罪もござりませぬ!」と叫んだ。

そして、血まみれになって気絶してしまったのであった。

女房はあわてふためいて逃げ出した。

一山は家に戻った後、女房から「あなたのせいでお坊さんが大けがするはめに陥った」と泣きながら責めたてられ、さらに隣寺に深く詫びを入れに行かされたというのである。

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きー。あたまにくるー! くそ女房め! ・・・ちなみにこのとってもタメになるお話は明・馮夢龍「古今譚概」巻十九より。いつの時代のことか書いてないのですが、明の時代のことと想像します。

かつて唐の名将・厳武、字・季鷹は、八歳の時、父の戸部侍郎・厳挺之がその妾・英なる女を偏愛し、武の母である嫡妻をかえりみようとしなかった(と母から聞いた)ので、

奮然以鉄鎚就英寝、碎其首。

奮然として鉄鎚を以て英の寝に就き、その首を碎けり。

興奮したようすで、金づちをふところにして英のベッドに近づき、その頭を砕き割ってしまった。

そして、父に向かって、

安有大臣厚妾而薄妻者、児故殺之。

いずくんぞ大臣にして妾に厚く妻に薄き者有らんや、児、故にこれを殺せり。

「どこの世界に朝廷の大臣まで務めながら、妾ばかりちやほやして、嫡妻をないがしろにするひとがいようか。おいらは、(父上がそのことでそしられないように)、この女をぶっ殺してさしあげたのでっちゅ!」

と豪語した。

と申します。(「後唐書」巻129「厳氏列伝」

われもいまこそ、厳武の勇をふるい、張氏の悍妻どものあたまを金づちでたたき○ってやる〜・・・・

とちょっと思いましたが、他人の家のことだから黙っておくことにします。ま、君子はあやうきに近づかず、でちゅよね。

 

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