平成24年4月27日(金)  目次へ  前回に戻る

 

体調悪い・・・ような気がしていたのですが、明日から休みだ。急に体調よくなってきた・・・ような気がしてきた。

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さてさて。

今日はわたくしは韓愈でございます。

陳商さん、わたくし、この間あなたからお手紙をいただきましたね。

あなたのお手紙、まことに

語高而旨深、三四読、尚不能通暁、茫然増愧赧。

語高くして旨深く、三四読するもなお通暁するあたわず、茫然として愧赧(かいたん)を増す。

ことばづかいは気高く、おっしゃる趣旨は奥深きに過ぎて、三回四回と読み直してみましたが、それでもよくわからないのです。茫然として自分にはわからないのだ、と恥ずかしく顏を赤らめるばかりでございました。

わたしの知識は浅はかで、一般のひとと同じ程度でございます。そのことを以てお見捨てにならず、あなたのおっしゃりたいことをもう少しわかりやすくお諭しくだされば、本当に幸いでございますが・・・。

こう申し上げて、わたくしは本当のことを言おうとしていない、と誤解召されるなかれ。わたくしはあなたの高い識見を補うに足るほどの才識が無いだけのことでございますれば。

さて。むかしむかしのことですが、

斉王好竽。

斉王、竽(う)を好む。

斉の王は、(笛である)の音楽がお好きであられた。

あるひと、斉の国に召し抱えられたいと思い、(シツ。大琴(おおごと))を抱えてやってきて、王に面会を申し入れた。

しかしながら、

立王之門、三年不得入。

王の門に立つも、三年入るを得ず。

王宮の門前でお待ちしたが、三年経っても入ることさえ許されない。

そのひと、立腹して曰く、

「これはどういうことか、

吾瑟鼓之、能使鬼神上下。吾鼓瑟合軒轅氏之律呂。

吾が瑟はこれを鼓するに、よく鬼神をして上下せしむ。吾の瑟を鼓するは軒轅氏の律呂に合す。

わしの抱えてきたこのおおごとは、これを掻き鳴らせば天の精霊を呼び下し、また天上にお返しすることもできるという聖なる楽器。そしてわしのおおごとの演奏法は、軒轅(けんえん)を氏とした超古代の黄帝さまがお定めになった音階に則したもの。

それなのに、王は、どうしてそのわしを召し抱えてその演奏を聞こうとしないのか!」

これを聞いて、王の幕僚(「客」)は叱って言った。

「あなたはなんとうるさいのであろうか。

王好竽而子鼓瑟、瑟雖工、如王不好何。

王は竽を好み子は瑟を鼓す、瑟は工なりといえども王の好まざるを如何せん。

王は笛がお好きである。そして、あなたはおおごとを演奏するという。おおごとの演奏がいかに巧みであるとしても、王の好きと嫌いをどうすることができようか」

そして、ついに兵卒に命じて、このひとを国境の外に追放したということである。

おお。

このことを

工于瑟、而不工于求斉也。

瑟に工なるも斉に求むるに工ならざるなり。

おおごとは上手でも、斉に雇われるのは上手でない。

と言うのでございます。

さて。

今、この時代に科挙試験を受けてよい答案を書き、合格して進士になる。進士になって給与を得、また自分の行おうと思う政治を行う。

そのように思いますのならば、

為文必使一世人不好、得無与操瑟立斉門者比歟。

文を為して必ず一世の人に好まざらしむるは、瑟を操(と)りて斉門に立ちし者と比ぶる無きを得んや。

今の時代の人に好感を得られないような文章をお書きになるのは、上記の斉の王宮の門前におおごとを抱えて立っていたひとと同じでないと言うことができますか。

すなわち、

文雖工、不利于求。求不得、則怒且怨。

文、工なりといえども、求むるに利せず。求むるを得ずして怒り、かつ怨む。

文章がお上手だとしても、官職を得るにはお上手ではない。官職を得ることができないので、不服を持ち、不満を覚える。

おお。

立派なひとはこうは考えないのかも知れません。しかし、わたくしはいつもお尋ねをいただいたことには愚かな答えだと思われることでもお答えすることにしているのでございます。へりくだりもせずに好き放題に論じてしまいました。

惟吾子、諒察。愈白。

これ吾が子、諒(まこと)に察せよ。と、愈白す。

わたくしのあなたさま、どうぞよろしくお察しください。―――と、韓愈(字:退之)が申し上げました。

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「古文辞類纂」巻二十九より韓退之「答陳商書」(陳商に答うるの書)

この文章、わかりやすい、おもしろい、すばらしい。・・・と思いませんか。まるで近現代のひとが書いたかのようによくわかります。

この手紙で韓退之がでっち上げた斉王をめぐる逸話から、「于を好むに瑟を鼓す」という成語ができました。ひとの好尚に合わないものはどれだけいいものでも受け入れられない、という意味です。

しかし、韓退之のいうような「竽(笛)を好むに瑟を鼓する」ようでは望むところが果たせない、世の好尚に応えるようにしなければならない、という考え方は、あまりに迎合主義に走り過ぎで、この世に不易のものがある、という真理に真っ向から逆らうているのではないだろうか。でも、やっぱりみなさんは「王が竽を好むなら、下手でも竽を奏でよう」とするのでしょうかなあ。これに反しまして、精霊を天より下らせ、あるいは古代よりの正しい音階を奏でるほどの能力を持ちながら、わたくし肝冷斎が世に容れられないのは今の世のひとが瑟を聴こうとせず、笛ばかり聴いているからなのでございますよ。おわかりかな? わっはっはっは・・・・

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ちなみに昨日の万葉仮名は、

可豆思加乃麻万能宇良未乎許具布禰能布奈妣等佐和久奈美多都良思母。(3349)

かつしかのままのうらみをこぐふねのふなびとさわぐなみたつらしも=葛飾の真間の浦みを漕ぐ舟の船人騒ぐ波立つらしも)

と読むのだそうでありまして、大意は

下総国かつしか郡の真間(国府の近くの地名)のあたりの浦に漕ぎ出だした舟の船乗りたちがなにやら騒いでおります。高い波が来たのでございましょう。

ということですから、真間は今の東京都葛飾区ではなく千葉県市川市の地であるということであるから千葉県である。

単なる叙景歌と読むべきでなく、国見儀礼(新たな国司が地霊を手なずけるために行う神事)における讃歌(ほめうた)であるか、あるいは千葉のあたりは海部びとの多くあったところであるから、その系列の海神祭における神聖歌謡であろう、と肝冷斎は勝手に推量して言い置くぞよ。いずれかの世に正当に評価されんことを確信して。

 

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