平成24年2月22日(水)  目次へ  前回に戻る

 

煮詰まってきました。

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「雁臣」という言葉があります。

意味わかるひと、手をあげてくだちゃーい!

おお、こんなにみんなわかっているのですか。さすがです。わからないひとはほとんどいませんね。

もしわからない人がいても、そんな人は他人に知らないことを訊くぐらいなら一生知らないでいる方がいいや、というような頑なな心のひとでしょうから、教えてあげても大きなお世話でしょう。

・・・なので誰も読まないわけですが、自分自身の記憶のためにメモしておく。

北魏の孝文帝のとき、平城より洛陽に遷都した(494)が、酋長の一人(斛律金なり、という)が

畏暑。

暑さを畏る。

夏の暑さをたいへんいやがった。

そこで、帝は

令秋朝洛陽、春還部落。

令して秋は洛陽に朝し、春は部落に還らしむ。

秋になったら洛陽の朝廷に来させ、春になったら草原の自分の部民のところに還るよう命じた。

これは「北史」斛律金伝に記されていることである。

時人謂之雁臣。

時人、これを「雁臣」と謂えり。

時のひとびとは、これを「雁のように秋やってきて、春になると北に帰る大臣さま」と呼んだのであった。

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と、明・于慎行「穀山筆麈」巻十四に書いてあった。

そろそろ春になってきたので、わしも帰らせていただきます。

なお、漢の時代にも「雁臣」の語あり。これは匈奴の貴族の子弟が、秋になると漢の都に遊学しに来て、春になると帰って行ったのをいう(「洛陽伽藍記」)。人質の意味もあったのだそうだ。

 

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