平成24年1月28日(土)  目次へ  前回に戻る

 

冬枯れや無意味な本を買うてきた (肝冷太)

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今日は朝から山梨の地震で起きました。

―――平常心じゃ。

と自らに言い聞かせて、また寝たのであった。

うとうと・・・しながら、思うた・・・、

惜食惜衣。非為惜財縁惜福。  食を惜しみ衣を惜しむ。財を惜しむがためにあらず、福を惜しむによるなり。

求名求利。但須求己莫求人。  名を求め利を求む。ただすべからく己れに求むるべく、人に求むるなかれ。

 食べ物を粗末にしない、着る物を粗末にしない。財産を惜しむのではない、たいせつなしあわせが惜しいからだ。

 誇らしいことをする、役に立つことをする。ただし、すべて自分で納得がいくようにするだけ、ひとさまに評価されようというわけではない。

という対聯は、桂林の陳文恭公が

「我が郷里のひとが作った最高の対聯(「其里第一聯」)じゃよ」

というて自分の書斎に自分で書いた軸を掛けていたのだが、武進の劉綸の作品だという人もいた。

いや、わしは、たしか若いころ、河南・梁山の舟なにがしという学士がこの聯を書きながら、

「これは明の文衡山の言葉でな・・・」

と言っていたのを思い出すぞ・・・。

うとうと・・・・

蒋家の書斎には堂々たる文字で、

何物動人。二月杏花八月桂。  人を動かすものは何物ぞや。二月の杏花、八月の桂。

有誰催我。三更灯火五更鷄。  我を催すものは誰か有らんや。三更の灯火、五更の鷄。

わたしの心を揺り動かすのはいったい誰? 春のあんず。秋のもくせい。

わたしにやろうと思わせるのはいったい何? 深夜の灯火。夜明けのにわとり。

(深夜の灯火は勉強のために灯されているのである。鷄の時の声は、農村のしごと始めである。)

という対聯が掲げられていた。

この言葉は有名になって、今ではあちこちで人口に膾炙しているのであるが、もとは蒋家の先代・蒋心余の友人であった彭文勤が書いたものだということを知っているひとはあまりいないんだよなあ・・・。

うとうと・・・にょろろ・・・

あれはいくつのころだったか・・・まだ二十歳になる前だったか。広州の香山書院に入学したときに、書院の正面にあった対聯・・・

諸君到此何為。豈徒学問文章、擅一芸微長、便算読書種子。

在我所求亦恕。不過子臣弟友、尽五倫本分、共成名教中人。

諸君ここに到りて何をか為さんとす。あにいたずらに学問文章のほしいままに一芸微かに長じ、すなわち読書種子を算えんとするか。

我にありて求むるところはまた恕なり。子・臣・弟・友として五倫の本分を尽くし、ともに名教中の人とならんことに過ぎず。

きみたちはここにやってきて、何をしようするのか。

むやみに学問や文章において少しばかり人より優れていると言われたり、どれほどの書を読んだかを数えて誇るためではあるまい。

おまえの中でやらねばならないことは実は厳しいことではないぞ。

子として親に、臣として主君に、弟として兄に、友として友に、仁・慈・忠・信・敬の五つのあるべき心遣いを尽くして、みんなで名誉と伝統を重んじるひととなることに過ぎないのじゃ。

なんで、あんな昔のことを思い出したのだろう? まだ若かったあのころを思い出せばまことに恥ずかしいかぎりのことだ・・・。

むにゃむにゃ・・・。

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やっと起きました。今日は修理中の縁故車(←愛によってではなく縁故によって結ばれているためこう呼ぶ)を引き取りにいかなければ。雪降ってなくてよかった。

どうやら寝起きのまどろみの間、わしの精神は清・梁章矩の残存思念に乗っ取られていたようである。昨日、梁の編んだ「楹聯叢話」巻八を拾い読みしていたからであろう。そういえばエラスムス先生の「痴愚神礼賛」(渡辺一夫、二宮敬訳)も読み終えた。おもしろかった。

―――哀れな人間どもが、毎日どれほどたくさんな笑い話を神々に提供し、お楽しみの種をさしあげているか、信じられぬくらいです。

―――やつらは、えさを口にくわえさせておかないかぎり、絶えず吠え続けますよ。

もっと若いころに讀んでおけばよろしかったかのう・・・

・・・・むにゃむにゃ。

この世の夢から「本当に」醒めたら誰になるのかな?

 

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