平成23年12月19日(月)  目次へ  前回に戻る

 

会社の帰りがけに淮南王のもとに寄ってきた。

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―――おお、みなさまはご覧になったことがありますかな、周の時代の青銅の鼎を。

と、わしは一座のみなさまをみわたした。

みなさまはわしが何を話そうとしているのであろうかと、わしをぎろぎろとおにらみになる。

わしはこほんと咳払いして申し上げた。

周、鼎著垂使銜其指。

周の鼎には垂を著してその指を銜えしむ。

周の時代の青銅の鼎には、「垂」を着けてある。そして「垂」に、自分の指をくわえさせてある。

なんですかな、この記述は。

「垂」は実は人名で、古代の聖天子・堯のときの名工であるという。

周の青銅器にはその「垂」指をくわえている像が貼り付けてある、というのだ。

何のためでありましょうか。

以明大巧之不可為也。

以て大巧の為すべからずと為すなり。

これによって、「すごい技巧」はつつしむべきだということを表わしているのである。

少しわかりにくうございますので解説いたしますと、これには二説ある。

(1)       仮令垂在見之、技巧不能復踰、但当銜齧其指。以明巧之不可為也。

たとい垂の在りてこれを見るとも、技巧また踰(こ)ゆるあたわず、ただまさにその指を銜え齧るべきのみ。以て巧の為すべからざるを明らかにす。

原始の堯の時代の名工・垂がもしはるか後代に当たる周の時代に生きていたとしても、周の時代の技術は堯の時代の技術よりずっと進んでいて、垂はその指をくわえてみているしかないのだ。これを以て、どんなに技巧があっても(技術の変化に勝つことはできず)大したことではないのだ、ということを明確にしようとしているのである。

(2)       画象鏤垂身于鼎、使自銜其指、以戒後世、明不当大巧為也。

画象として垂の身を鼎に鏤(ちりば)め、自らその指を銜えしめて、以て後世を戒め大巧の為すべからざるを明らかにすなり。

自分の指をくわえている垂の画像を鼎にちりばめ、後の世のひとたちに、垂の大いなる技巧(の象徴であるその指が隠されていることから、それが)使ってはならないものであったことを教えようとしているのである。

う〜ん。

(1)(2)説、いずれも少しづつ無理があるように見えますが、民国の于省吾が断じて曰く、

―――「呂氏春秋」の離謂篇にも「垂」の像についての記述があり、そこには、

周鼎著垂而齕其指、先王有以見大巧之不可為也。

周の鼎には垂を著け、その指を齕(か)む、先王以て大巧の為すべからざるをあらわすあり。

周の青銅器には「垂」の姿を貼り付け、自分の指を噛ませてある。これは、古代の(周の)王たちが、大いなる技巧は使ってはならない、というのを目で見えるようにしたのである。

と書いてあるので、漢代の「淮南子」よりも古い戦国末の「呂氏春秋」のこの記述からみて、(2)説が正しい!

のである―――と。

おお、王よ、取り巻きの方々よ。

周の賢者たちは、堯の時代の名工・垂の像を使って技巧の使うべからざるを表わしたのでございます。

まことに

能愈多而徳愈薄矣。

能いよいよ多くして徳いよいよ薄し。

人間が有能になればなるほど、生命力は薄くなっていくのでございますよ!

―――無能の方がいいのでございますよ!

わしは(昨日に引き続き)再びそのように申し上げた。

淮南王とその取り巻きの方々は、

「わははは」「よう言うた」「なるほどのう」

とお気に召したようで、

「よし、ではそろそろ家に返してやるぞ」

と許されて、わしはクビもおち○ち○も斬られずに、家に帰ってこれたのであった。

また呼んでもらえるといいんですがね。

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「淮南子」巻八・本経訓より。「垂」のこと、原子力のことに結び付けるといいオチになる?かもしれませんでしたが、わたしは実は反原子力発電論者ではないのでそうしませんでした。ぶはははー。

 

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