平成23年12月4日(日)  目次へ  前回に戻る

 

まだハラ苦しい。一昨日のシースーが残っているのではなく、今日も食ったためである。なんとかして休日ぐらいは絶食したいものだが血糖値がいうことを聞かぬのだ。

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今日も血糖値が高いまま説教してやる。ありがたく聴くとよいぞ。

始忍於色、中忍於心、終則無不可忍。

始めは色に忍び、中には心に忍べば、ついにはすなわち忍ぶべからざるなし。

始めはがまんして顔に出ないようにする。それから心の中で出ないようにがまんする。そのうち、とうとう何でもかんでもがまんできるようになりました。

・・・というのは明の楊一清の語である。

○楊一清、字は応寧は明の名臣である。成化年間の進士、督学として陝西にあったが暇があれば異民族との軍事問題の研究に打ち込んだという。後、張永らと謀って君側の劉瑾を誅滅するに功あり。また、辺境に危機あるたび、三度にわたって陝西総制に登用されて国防のことに当たった。晩年、太子太師、華蓋殿大学士などに累進したが、讒を以て免ぜらる。明史198巻に伝あり。邃庵などの号がある。

ある日、わしは明史を読んでおって、この言葉に至った。

余少時狭隘不能忍。此語為適症。諳記自戒。

余、少時狭隘にして忍ぶあたわず。この語症に適すと為し、諳記して自戒す。

わしは、若いころ心が狭くてがまんができなかったのじゃ。この言葉はわしのその弱点をようく補ってくれる。そこで、暗記して、つねづね自ら戒めるようにした。

そうしたら、

久之方変気質。

これを久しくしてまさに気質を変じたり。

これを長く続けているうちに、このように性格が変わったようになったのである。

吾が子、桂(けい)も、わしと同じ弱点があるようなので、この語を書きつけておまえにやる。

充座右銘。

座右の銘に充てよ。

いつも座っているところの右側にかけて、読めるようにしておけ。

ちなみに、今は明治乙未年(1895)の春である。日清戦争をやっているころである。―――六十六翁 中洲

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と署名がありましたので、これは二松学舎の創設者であり、大正天皇の東宮時代の侍講であり、明治三文宗の一とされる中洲・三島毅(備中のひと、山田方谷、斎藤拙堂らに学ぶ、王学者なり)が、66歳のときに息子・三島桂に与えた座右銘だとわかりました。みなさんもがんばって忍べるようになってね。

「これを久しくして気質を変じたり」と書いてありますが、それは主観的には知らんけど、客観的にはかなりウソ。中洲は九十まで生きましたが、晩年もそこそこコワかったようである。冬でも毎朝冷水かぶってたらしいし。なお、大正天皇は漢詩うまい。近代で一番和歌の上手い皇族は昭憲皇后だと思いますが、漢詩は大正帝であろう。

ちなみに今日は葛飾フィルハーモニー管弦楽団第42回定期演奏会(指揮・ピアノ 迫昭嘉)を聴きに行ってきまちた。知り合いが参加しているのです。

一応曲目を記して後の参考にしておきます。

1.ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」序曲

2.ベートーヴェン ピアノ協奏曲5 皇帝

3.ブラームス 交響曲4 

アンコール曲 ブラームス ハンガリー舞曲1

いいコちゃんにして聴いた。スコアを見ながら聴こうと思ったが、すぐにどこ演奏しているのかわからなくなるので途中でやめました。この楽団はみんなにやにやしているので見てても楽しいです。団長さんがいいひとなのかも?

 

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