平成23年10月25日(火)  目次へ  前回に戻る

 

昨日は頭が痛くて更新断念。会社でも傀儡2号がずいぶん居眠りしていたらしく、苦情があったので、職場にはわしが謝らねばならなかった。怪しからんので2号のスイッチは帰宅したところで「ぶち」と切っておいた。やつめ、「ぷしゅう」と音を立てて機能を停止しおったわ。わはは、わははは。

さて、今日は頭痛も治りましたので、爽やかな話をしよう。清の文人・鄭板橋の逸話をである。いかにも東洋的でみなさんがスキそうな、爽やかなオトコたちの世界のお話であるのじゃ。ウホッ。

(以下、子ども(精神的な子どもを含む)は読んではいけません)

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一)揚州の富豪にして侠客・江秩文は少年時代、「五狗」(いとこの中で五番目に生まれたイヌのようにすばしっこいやつ)と呼ばれていたので、成長してからもひとびとは尊敬と親愛をこめて「五狗江郎」(江氏の犬五郎あにき)と称していた。本人も「甚だしく美麗」(すごくいいおとこ)だっただけでなく、

家有梨園子弟十二人、奏十種番楽者。

家に梨園の子弟十二人、十種番楽を奏する者あり。

自宅に十二人のおとこ劇団員と十種類の西域音楽を演奏する楽師を養っていた。

もちろん、おとこ劇団員たちとは愛欲の関係を持っていた。

彼が、家の園(「庭園」)に立つあずまやに飾る題聯を、鄭板橋に依頼したところ、板橋が書いてきたのは、

草因地暖春先翠、  草は地の暖かきに因りて、春 まず翠に、

燕為花忙暮不帰。  燕は花の忙(いそが)わしきがために暮るるも帰らず。

 庭園の草は、その地があたたかいので、春には他よりはやく青くなり、

 軒先の燕は、花のさかりの時期にあちらこちらとさまよい歩いて忙しく、日が暮れても帰ってこない。

であった。

江郎喜曰、非惟切園亭、併切我。

江郎喜びて曰く、これ園亭に切なるのみならず、あわせて我に切なり。

江のあにきは大喜びで言うた、

「これは庭園のあずまやにぴったりだが、それだけでなく、わしの生活にぴったりじゃ」

江家に養われる少年がほかよりも早く美しくなり、主人の江は多くの愛人をわたり歩いていることを喩えたものと解されたのだ。

江は、玉製の高価なさかずきを礼物にくれた。

二)揚州の富豪・常書民もまた家に「園」(庭園)あり。常書民は庭園の門に掲げる題聯を鄭板橋に求めた。

板橋、題して曰く

憐鶯舌嫩由他罵、  鶯の舌の嫩(やわら)かきを憐れむは他(かれ)の罵りに由り、

愛柳腰柔任爾狂。  柳の腰の柔らかきを愛するは爾(なんじ)の狂うに任す。

うぐいすのさえずりのいろっぽいのがいいね ―――あいつはどうせ悪口を言ってまわっているんだけどさ。

やなぎの枝垂れのやわらかそうなのがいいね ―――おまえはほんとに気ままにふるまっているんだけどさ。

これを得て、常書民、

大喜。

大いに喜ぶ。

すっごく喜んだ。

そこで、お礼に、と、鄭板橋の大好きなものをくれた。

以所愛僮贈板橋。

愛するところの僮(ドウ)を以て板橋に贈る。

自分の寵愛していた小姓を板橋に贈ってくれたのだ。

「僮」(ドウ)は特に近世においては若い男性の下僕で、同性愛の相手となるよう仕込まれているのをいう。牧歌的に「童子」とか「少年」と訳して「おつかえいたちまっちゅ!」とかかわゆく言わせてもいいわけですが、明・清の文人たちにとってはそんなのではありません。板橋は自ら、

好色。最多余桃口歯及椒風弄児之戯。

色を好む。最も余桃の口歯、及び椒風の弄児の戯れ多し。

「余桃」は、かじった桃の余りを主君に献じて褒められた「韓非子・説難篇」の彌子瑕(びしか)の故事から、主人と従者の間の男性の同性愛を意味する。「椒風」はサンショウの香をいう語ですが、漢のころ、若い女官を置く宮殿に「椒風殿」があったということである。「弄児」は性的な玩弄物とされる幼児をいう清代の用語。

エロおやじである。特に、かじった桃の余りを分け合うきれいなお口と付き合ったり、幼いこどもと戯れる店での遊びが多いのです。

と言っているおやじである。(「板橋自叙」

わたくしどもの倫理観で見ればわたくしどもよりずっと不健康なエロおやじだったわけですが、当時としては風流なおやじとして各方面から引っ張りダコだったのでございますよ。ひっひっひ。

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鄭板橋「板橋偶記」より。ウホッ。またこんなの書くと疑われるなあ・・・。とはいえ、シナでも日本でも18〜19世紀の文人を紹介するなら、このモンダイは避けて通れませんからね。

それにしても、「揚州八怪」の筆頭的存在であり、乾隆の進士、官界に合わずして退隠した板橋道人・鄭燮を「抵抗詩人」「庶民派」などと評するひとが多くて(にほんにも)困ります。時代も風俗も違うのですから、ゲンダイの尺度を当てはめて評価しようとするとおかしなことになるのです。おそらく、本人がいちばん嗤ってますでしょうよ。

 

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