平成23年8月8日(月)  目次へ  前回に戻る

 

よいちょ、と。

家へ帰ってきまちゅと、また童子の姿に戻りまちゅ。ああ、童子は気楽でいいものでちゅよ。

気楽でひまでちゅと、ごろごろしまちゅ。ごろごろしているうちに退屈になってきて、本でも読みまちゅ。童子はオトナとは違って計画性がない、意志の力が弱い、などの特性があってもしかたありませんので、何の取り止めもなしにそこらにある本を読んでもよいのでちゅ。

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嘉慶七年 壬戌 (1808)

○呉県の呉慈鶴が「官塩行」(国営流通塩の唄)を書いた。これは、

官禁私塩、而官塩劣貴、民不堪受。

官の私塩を禁ずるも、而るに官塩は劣にして貴、民受くるに堪えずとす。

塩の民間流通を国が禁止し、国家の流通させる塩だけを使わせるようにしたことを題材にしている。そして、国営の塩は質が悪い上に値段はばか高く、人民どもはがまんすることができない、と訴えている。

禁止を止めるように、というのである。

○呉県の金学蓮が「望雪詩」(雪を眺めるの歌)を書いた。これは、

揚州久旱、農民多逃亡、城中米価騰貴、而貴家酒緑灯紅的生活如故。

揚州久しく旱りし、農民多く逃亡して城中の米価騰貴す。しかるに貴家、酒緑灯紅の生活、もとの如し。

江南の揚州一帯ではずっと雨が降らず、ために農民どもは多く逃亡してしまって、南京城内の米価がばか高くなっていることをいうのである。しかし、その中でも、富貴の家では緑の酒を酌み、紅の灯りのもとで宴する生活を続けているのだ。

○また、同じ金学蓮が「揚州詠古小楽府」(揚州においてむかしのことを―――古い小唄の節で)を書いた。

○通州の李懿曾が「後漢書」を読んでその中のエピソードについて古い小唄の節で詩を書いた。

○陽湖の陸継駱が江西の萬承紀の推薦で上海に寓居し、同郷の荘逵吉とともに「抹陵秋伝奇」を完成させ、上海において上演した。

○上記の江西の萬承紀は丹徒県の知事を兼ね、「護花幡伝奇」を完成させた。

○金山の呉信天の著「三笑新編」は四十八回分の詞を含め、この年刊行された。

○陽湖の孫星衍が南京で、著書「五松園文稿」を出版した。 ・・・・・・・・・・・

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きりがないのでやめます。

ごろんごろん。これは「明清江蘇文人年表」という書物に書いてあることです。この本は張慧剣というひとが生涯をかけて編み、1965年に亡くなったときに未完のまま遺したものだそうです。おもしろくもないし為にもなりませんけど、ときどきこういう意味の無い本を読むシアワセに浸れるというのは、やはり童子の特権でございまちょーね。みなちゃんも童子になりまちぇんか?

 

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