平成23年6月1日(水)  目次へ  前回に戻る

 

今日は漢文ではございません。内ゲバのこと。

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浅野内匠頭(たくみのかみ)さまといえば播州赤穂五万五千石の御大名でございますが、この内匠頭さまの江戸御屋敷においえ刃傷沙汰のございましたよし。

同家には近年、御用人として重く用いられておりました方がございました。この御用人、つねづねに驕り、おりおり(公金をお用いなされて)吉原に遊びに通われておられたそうなのでございます。

これに対して某という役人(民間から取り立てられた者という)、

其方(そのほう)吉原に御出候義(おいでそうろうぎ)、不入事(いらざること)にて御座候(ござそうろう)。

「あなたが吉原にお出かけになられたことは、不必要なことでございましょう」

と面と向かって注意した。

御用人は渋面しながら頷いておられたということじゃが、その後、付き合いの儀があったのか、その誘惑に勝てなかったのか、また吉原に出かけたのであった。

すると、吉原にて某役人と

与風(ふと)行逢(ゆきあい)申し候い付く。

偶然に出会ったのであった。

「与」は「&」の意で「〜と」と訓じますので、「風」を「ふ」と読ませて「与風」と「ふと」。まったくの当て字です。

御用人、某役人に、

其方義、手前にはとやかくと被申候(もうしそうらわれ)て、御出候義、不届きに存候。

「おまえさまは、わしにとやかくとおっしゃっておられたのに、おまえさまもこちらにお見えとは、不届きなことではござらぬか。」

と声をかけた。

「被申候」(もうしそうらわる)は、「言う」の尊敬語ですが、この「被」は本来「こうむる」と訓じ、「〜される」という受け身を作る助字です。ところが、和語の「受け身」の助動詞は「〜らる」で、これは「尊敬」の助動詞と全く同型。そこで、「受け身」を表わす漢字「被」を付けて、その後の言葉(「申候」)を尊敬語にする、という超絶「当て字」をしている。

某は何か反論したいようであったが、御用人がそれだけ言って顔も見ずに別れたので、言いたいことも言えなかったようである。

その後、御用人のお部屋で宴会があった。

宴会の後、御用人と某役人は碁を打っていたそうだが、

うち手がへの義にて互いに口論仕候。

一手を待つ待たないのことでお互い口論になった。

そして、突然、

役人脇指(わきざし)を抜き、覚えたかとて、かほをしたゝかに切り候よし。

某役人は、脇差を抜いて、

「お忘れではございますまい!」

と叫びながら、御用人の顔をぐしゃりと切ったのであった。

「ぬが!」

御用人の方も即座に刀を引き抜き、

大げさを一刀(一字欠)、埒明(らちあけ)申候。

某の肩から胸にかけて一太刀切り下した。これが致命傷になりてござる。

「埒明け」(らちあけ)は、「絶命すること」のサムライ用語。

内匠頭さま、このことをお聞きあそばされ、御用人さまにはお咎め無く、外科医を付けて養生させたとのことでございます。

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これは元禄七年(1694)のことでござる。「元禄世間咄風聞集」(岩波文庫)より。今回は内ゲバでございましたが、内匠頭さま御自身が殿中にて刃傷の沙汰に及ばれたのは、この七年後、元禄十四年の三月のことでございました。

浅野家の家風というのはこういうものだ、とそれ以前より既に江戸市中に聞こえていたので、当時はあんまり同情されなかったのだそうでございます。

 

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