平成23年5月13日(金)  目次へ  前回に戻る

 

「大学」の第一章第二節に並べられている八つの項目を、朱子学では「大学の八条目」というのです。まずは第二節本文を読んでみませう。

・・・とは思うのですが、第二節本文はゲンダイ的感覚では「くどい」文章なので、白文から読んでいると「いらっ」とする方もいて怒ってくるとコワい。わしはニンゲンがコワいのです。ニンゲンはたいていわしより精神的にも物理的にも強いからです。ああいやだいやだ。

そこで白文・読み下し文を省略して現代ニホン文にして読んでみます。

いにしえの時代に、世界(「天下」)にすばらしい徳を発揮しようとしたひとは、その前にその支配する都市国家(「国」)をよく治めた。その都市国家をよく治めようとしたひとは、まずその一族(「家」)をととのえた。その一族をととのえようとしたひとは、まずその行動(「身」)を修めた。その行動を修めようとしたひとはまずその思うところ(「心」)を正した。その思うところを正そうとしたひとはまずその意志(「意」)を誠にした。その意志を誠にしようとしたひとはまずその知識(「知」)を致した。知識を致すには物事(「物」)を格することが必要だ。

物事が格されれば知識が致される。知識が致されればそれから意志が誠になり、意志が誠になればそれから思いが正しくなり、思いが正しくなればそれから行動が修まり、行動が修まればそれから一族はととのい、一族がととのえば都市国家は治まり、都市国家が治まれば世界は平和になるのだ。

この中の「八つの項目」を本→末の順に並べると、

@  格物 (物を格す)  物事を究める

A  致知 (知を致す)  知識を完全にする

B  誠意 (意を誠にす) 意志を誠実にする

C  正心 (心を正す) 思いを適正にする

D  修身 (身を修む) 行動を適切にする

E  斉家 (家を斉(とと)のう) 一族を和同させる

F  治国 (国を治む) 都市国家を治める

G  平天下 (天下を平らかにす) 世界を平和にする

ということになる。

「大学」はもと戦国期に成立したとされる「礼記」の一篇で、唐代まではそういう位置づけ(五経の一である「礼記」の一部)であったのですが、唐の後半から重視されるようになり、ついに南宋の朱子に至って五経より重要な「四書」の一とされるようになった。

それは、「士大夫」といわれる在地地主階級の成長と軌を一にしているのであります。

基本的に「貴族」ではなく、「民」の一部であった「士大夫」は、「ニンゲンにははじめから差別がある」という考え方にはなじめなかった。そんなことになってしまっては自分たちのような者が「科挙官僚」として天子さまとともに天下の実権を握ることが正当化できません。

そこで彼らが掲げた標語が

「聖人学んで至るべし。」(「大人の学」をすればGの聖人にだってなれる。逆にいえばそれ以外の方法でGにはなれない。)

という「近思録」の有名な言葉です。

彼ら宋の士大夫たちには、「できることからコツコツと」と順序を踏んでだんだんエラくなっていく「大学の八条目」はたいへんフィットした。

最終的にGにまで至るのはいにしえの殷の湯王、周の文王のような聖人天子だけであろう。それでも@から順次に努力をはじめれば、いつかGまで行けるかも知れぬ。Gまで行けなくても、BもCもDもひととして胸を張って生きていくには必要なことばかりである。@から努力をはじめないでいられようか。

はい。

以上。

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「四書」の話とかめんどくさい。

のですが、一応、二点だけ。

一つは、この中の@とA「格物・致知」の読み方について。

これこそ、近世のシナ、朝鮮、日本の思想界(シナと朝鮮はああいうお国柄ですから、政治社会も)を揺るがす大問題であった。

これに該当するぐらいの東アジアの大問題は、@阿弥陀如来と大日如来、どちらを信奉するか、A漸進的民主社会主義と社会主義、どちらがかっちょいい? ぐらいしかないのではないか。

というぐらいの大問題となったのだ。

問題を大きくしたのは朱晦庵、すなわち南宋の朱子そのひとで、朱子は宋代のひとらしく、@〜Gの中では「本」である@Aが大切だと考えた。学ぶ者がこの@Aをないがしろにしてはいけない。まず@Aからはじめなければ、B以降には進めないのだ、と教えた。

ところが困ったことに、「大学」は第二章(朱子によれば第二章以降は「伝」(「弟子の曾子のノート」)ということになりますが)以降に、第一章(朱子によれば「経」(「孔子の発言」)ということになりますが)の言葉の解釈法が書かれている、という構造になっている本なのに、この@A「格物・致知」にだけどういうわけか「伝」が無い。

「これはおかしい」

と考えた朱子はやがて

「もともと「大学」には「格物・致知」の解釈(「伝」)があった(はず)。現在はそれが散逸してしまった(はず)。わしが微力ながら復旧してやらねばなるまい(はず)」

と考えて、捏造といいますか熟考の末に「伝」を創ってしまった。これを朱子の「大学補伝」といいます。

その補伝(朱子章句では伝五章)において、朱子は大略次のように書いた。

・・・・・・・・・・・

「知を致すは格物にあり」というのは、自分の知識を完全にするためには、

即物而窮其理也。

物に即してその理を窮むるなり。

一つ一つの物事について、それを離れることなく、その中に含まれる「理」(すじみち・ことわり)を窮め尽くすことが必要だ、ということなのだ。

だいたい、ニンゲンの精神というものは知ろうとして知られないものはない。また、天下の物事にはすじみち・ことわりの無いものはない。知識が完全でない、ということは、すべての「理」を研究し尽くしてない、というだけのことなのだ。

そこで、「大学」の最初の段階(@A)においては、必ず学ぶ者に世の中のすべての物事について、これまでに知っていることを押し広げ、その究極に至らせるように指導しているわけだ。

この方針でもって長く学んでいけば、

一旦豁然貫通焉。

一旦、豁然として貫通す。

ある日、すっぱりといろんなことについて共通するところがわかるようになるのだ。

すべての物事の表・裏いずれも、また詳細も大略も、すべてわかる。自分の心の全体、構造もはたらきも、すべてがわかるようになる。

これが

物格(物が格(いた)る)

という境涯であり、これがすなわち知の至りである。

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一つ一つのことをまず研究せよ。それを積み重ねていけば、ある日、全体がわかるようになる。そうすれば、格物になり、致知になる。すなわち

物(もの)に格(いた)って、知を致(いた)す。

物事一つ一つに即して究め尽くし、知識を完全にする。

ここでようやく次の段階である「誠意」に移れ。

というのが朱子の趣旨(←しゃれ)。

「なるほど。そうか!」

と多くの若者が朱子の教えに感動してがんばって「格物致知」をしました。

朱子より400年ぐらい後のひと、後に陽明先生と呼ばれるようになる余姚の王守仁という青年もそのように思い、

「よっしゃ、わしはまず「竹」の理を窮めるぞ」

と毎日毎日竹を見つめていた。

毎日毎日。

来る日も来る日も。

そのうちおかしくなってきまして、ある日、突然

「うおおお、この中に「理」があるのかーーー」

と叫び出して、刀を抜いて竹に切りかかった。

それを押しとどめようとした友人にも切りかかって負傷させてしまったのである。

その後、心を落ち着けた王青年は、今度は来る日も来る日も考えました。

考えまして、

「よっしゃ、わかった!」

と考え出したのが、

格物而致知

の新しい読み方である。

彼は、この四字を次のように訓んだ。

物(もの)を格(ただ)して(良)知(りょうち)を致す。

物事を正す。これによって「まことの知」が果たされる。

「格」を「正」と読んだ。「知」はただの知識ではなく「良知」、社会をよくする行動を含んだ「知」のことである。要するに、一々の物事を研究して知を完全にする、のではなく、ニンゲンの心に本来備わっている「良知」によって、目の前に現れた物事を正しく整理してやること。これが「格物致知」の本当の意味なのだ。

と言うたのです。

これは明代、爆発的に流行った。なにしろ「研究」をしなくていい。自分の今のままがすでに「良知」なので、ありのままに振る舞えば、それで「格物」できてしまう。

これは楽チンだ、というので流行ったのである。(←ほんとうです。)

でも、これは社会思想としてはもう「自爆」してしまっているとしかいいようがありません。なのでわしは陽明学は採れないのです。が、楽チンなひとは採ってもいいです。でも、どうせ楽チンがスキなら阿弥陀如来を採るとか、サヨクを採って○日新聞を読んでる方が、ほんとに何も考えなくていいから真の楽チンかも。

いまひとつは、敬内義外の説について・・・ですが、すでに紙数というか根気と脳汁が尽きた。ぷしゅう。わたしの(尊敬する)上司に、

「ええか、この問題の観点は三つある。一つ・・・・」

と言うて二つめと三つ目が出てこないひとがいますが、わたしも今日のところは「二つ」と言うて「一つ」で終わってしまう。

続きは、また明日(以降)。

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本日は午後七時ごろキレてしまい、解放感に浸りながら、ハコさんを聴きに行った。曲目以下のとおり。

1 記念樹(小学校のときの音楽の時間でいつも歌っていた云々) 

2 刈干唄(おやじさんが歌っていた宮崎民謡云々) 

3 ばいばいことば(天神行のバスの車窓から見えるものを歌った云々) 

4 流れ酔い歌(これはほんとの日田弁とのこと) 

5 ヨコハマ(「いちご」のイントネーションが云々) 

小椋桂氏登場

6 シクラメンのかほり (岩国哲人がどうのこうの)

ハコさん退場

7 白い地図

中村雅俊氏登場(ハコさんが酔っぱらってた説あり)

8 俺たちの旅

小椋・中村両氏退場、ハコさんお戻りになられる(酔うておられた説を否定)

9 ざんげの値打ちも無い

10 りんご追分

11 横浜ホンキートンク・ブルース

12 ビートル

13 おらだのふるさと

14 あなたの声

アンコール

15 呪い

16 会えないときでも

相変わらずMCわけわからんときもありますが、「ハコにも衣装」はよくわかりました。借り物だということもわかった。

 

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